2017年10月28日土曜日

『シルヴィ、から』 53

 複声レチタティーヴォの連続のみから成るカンタータ叙事詩
 [1982年作]   

  (第二十三声) 7

  (承前)

 礼拝が終わるとわたしたちはすぐに宿舎に戻り、できるかぎりの盛装をした。今夜は、今までとは違って、全員ちゃんとした服装で集まることになっていた。
旅行者であるわたしたちの場合、この旅行中の制服として定められていた青いジャケットと赤いネクタイ、ワイシャツ、薄青いスラックスなどを身につけるしか選択肢はなかったが、それでも、中には、ネクタイを違うものに替えたり、ワイシャツを色物に替えたりして、少しでも個性的な装いをしようとする者もいた。こういう時のために、わざわざ別のジャケットを持ってきていた洒落者もいた。わたしの場合は、制服を決まり通り身につけると、もう、なにもすることがなくなってしまった。しかたなく、髪ばかりを何度も梳かしつけた。手持ち無沙汰なので、ひとりで先に集会室へと向かった。

 時間まではまだ間があるので、わたしは集会室のまわりをぶらぶらと歩いた。
何人かが、出しっぱなしになっていたパッティングの道具を使って遊んでいた
グラウンドはもう薄闇に呑まれ、樹々はすでに色を失って、黒々と点在していた。
太陽が沈むところだった。
日没に集まった様々な色が空に散り、明るいオレンジのような太陽の、濃い輝きを映えさせていた。
グラウンドの隅や集会室の傍ら、木立の下などに深い闇が居すわり、それらの闇の間を弱い風が吹いていた。
 べつに、悲しくはない、とわたしは思ってみた。
冷たい水のような新しく若い夜空には、もう、星がいくつか輝き出ていた。
つい数時間前には、このグラウンドで皆がゲームに熱中していたんだ、という思いが浮かんだが、別段、なんという感慨も、それほどはっきりとは生まれなかった。
目の前に日没とグラウンドとがあって、闇が刻々とそれらを今日という日から消し去っていくということが、この数日来の出来事の思い出よりも、今のわたしには印象深かった。闇の中に沈んでいくこの緑の広がり、いや、昼の光の中では緑であった広がりが、非常に充実したものに成り変わっていくように感じられた。
この最後の晩を、皆から離れて、このグラウンドで、どこかの木の下にでも座って過ごそうか、とわたしは思った。遠くから最後の晩の賑わいをひとりで眺めることのほうが、よほどわたしにはふさわしい気がした。
人の集まるところでは、わたしはいつでも居たたまれない気持ちになる。集まりが終わった時、わたしはいつでも、時間を無駄にした、やはりひとりでいたほうがよかった、と悔やむのだ。
今夜はひとりでいるべきだろう。ひとりでいれば、わたしは充実していられる。新しい欲求も希望も生まれず、わたしは完全に充足していられる……
 だが、今晩は、わたしにはやるべきことがあるのだった。シルヴィという問題にどうにか決着をつける必要があった。彼女がやはりわたしを無視するか、それとも、あの時のつらい態度は一時の気まぐれに過ぎなかったのかを確かめねばならない。そのためには彼女にちょっとした交渉を仕掛けて、彼女の出方を見てみればいい。そうすれば、すべてが決まる。明日からは、せいせいとした気分になるに違いない。ふたたび、いつものわたしに戻れるに違いない。

 集会室に戻ると、もう、ほとんどの人が集まっていた。
わたしの目には、初めて見るような各人の装いのために、誰もが別人のように大人びて見えた。自分は皆の目にどう映っているだろう、あまりにも子供じみて見えてはいないだろうか、あるいは、ぎこちなく中途半端な大人ぶりを呈してしまってはいないだろうか、と不安になった。
しかし、その不安を自覚しながらも、わたしは思った。皆の目から見て、滑稽な格好をしていたとしても、それがどうだと言うのだ、そもそもわたしを注意深く見てくれるような誰かがいるとでもいうのか、と。滑稽な格好をしている人がいるといった程度の認識ではなく、他ならぬこのわたし、他の誰彼ではないこのわたしが、今日はどうも芳しからぬ格好をしている、と、そう認識してくれるような誰かがここにいるとでもいうのだろうか
シルヴィの顔が頭に一瞬浮かんだが、すぐに消えた。いいや、やはり、誰も居やしない。ある場を与えられるたびにいつも行う試み、わたしをわたしの独自性そのままに丸ごと受け入れてくれる新しい人を見つけるという試みは、今回も失敗したのだ。ここでは、わたしは、〈だれか〉以上の何者でもない。いちおう人間であり、頭数の上では必要とされてはいるものの、今ここにいるのは、べつに、このわたしではなくともかまわない。他の誰かでもいい。ここはわたしには無縁の場所なのだ。わたしは拒まれているわけではないが、わたしがここに居ようと居まいと、なにひとつ本質的なことは、ここでは変わらないのだ。
なにをしていいのかわからないので、わたしはしかたなく周囲を見まわす。見まわすというよりも、視線を通して、わたしという者の意味をあたりに拡散する。落ち着きなく、きょろきょろと見まわすことで、人は、無為のまま、つまり、ーーそう、なにもしないがためにこそ、わたしは見るのだ。それも、漠然と、とにかく時を費やし得るに足る程度に見る。
 ……好きあった相手と一時も離れることなく歓談している人々。今日が最後の晩だというので、しんみりとしているカップルもあった。娘たちは、正装のため、まさしく女性そのものへと成り変わり、彼女たちのつけているイヤリングの輝きや、きれいに整えた金髪の流れや、清楚であったり艶めいていたりもするドレスの着こなしがわたしの目路を流れ、あるところでは留まり、停滞し、ふたたび流れ去っていった。
そういう娘たちは、恋人に寄り添っていたり、たがいの装いについて感想を言いあったり、あるいは、部屋の隅で恋人とキスしたりしていた。
わたしはすぐに手持ち無沙汰になった。自分の傍らに誰もおらず、また、両手が空いていることがつらく思われた。今日の装いには合わないと考えて、置いてきたのだが、やはり、本かノートを携えてくるべきだったと悔やんだ。しかたなく、(わたしはいつも「しかたなく」なのだ)、ふたたび外へ出て、集会室の入口のところで、いかにも外気に当たりに来たかのような様子を装って、ダンスが始まるのを、いや、ダンスではなくとも、なにか、わたしの状態を変えてくれるものが起こるのを待つことにした。


(第二十三声  続く)



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