2017年11月21日火曜日

『せせらぎ』(譚詩1991年作)  10


  (承前)

 水の流れる音がしていたのに気づきました。コスモスの向こう、垣根のあちら側からのようです。
 指さして、
 「あのあたりですか? 川?」
 そう聞きますと、彩さんは微笑んで、
 「根のすぐむこうに小川があっあれその瀬音ですの」
 心の思いの不思議な流れに、ふと、わたくしは、出かける前に友に確認の電話をした際、彼が言った言葉を思い出したのでした。
 「…どうもね、ぼくの感じなんだが、彩のやつ、君のことがだいぶ好きになったようだよ。なにも本人は言わないんだけど、どうもそんな気がするんだなあ」
 ふたたび、あの時の紫色の美しい影が心にさして、今度はそれにすっかり浸されるようでした。濡れ縁まで歩み出て、垣根に隠れたままの、小川の流れていく先に目をやりました。
 心の奥に、ほのかに明るく、痛みに声を洩らしたあの時の、妻の乳房が見えました。
 「もう少し涼しくなってきたら、小川に沿って散歩に出てみましょうか。絵を描くのによいところがあるかもしれませんから。…それにしても、このせせらぎの音を聞いていると、いつものことですけれど、ほんとに涼しい気持ちになってきますわ。いかがです? … ね?」
 「ほんとに … お姉さんもずっとこの音を聞いていたのでしょうね」
 「ええ、まだ動けるうちは、よくこの縁へ出て、ずっとこの音を聞いていました。まあ、実際はこれを聞いていたのかどうか、ほんとうのところはよくわかりませんけれど、それでも、いつも、この音の中にいるようでしたわ」
 「動けなくなっても、この部屋にいたのなら、やっぱり聞こえていたのでしょう?」
 「それは、確かに、聞こえることは聞こえますけれど … 意識が朦朧としていることが多かったものですから … よく、うつらうつらとしていて、変なうわごとを言ったりしていました。車の音がうるさいわねえ、聞こえない日がないわねえ、なんて、そんなことを言うんです。白い壁ばかりでさびしいわ、ーーそんなことも、よく言っていました」
 「遠くを車が通っていく音にきっ敏感になっていたのでしょう。それとも、昔のことでも思い出していたのかな」
 「そうでしょうか。私も、姉がそう言う時には、遠くでほんとうに車が走っているのではないかと思って、耳を澄ましてみたりしましたけれど、なんにも聞こえませんでした。やはり、なにか思い出していたのかしら」
 「頭の中まではわかりませんからね。ところで、なんの病気だったんですか?」
 「癌だったんで全身に広がってしまっていて … 痛み止めの注射をしにお医者さんが来てくださいましたけれど、そのたびに、病院よりここで最期を迎えるほうがいいとおっしゃっていました。姉も、自分の病状はわかっていましたけれど、意識がちゃんとしている時には、ここで死ぬのがいい、そのほうがいい、せせらぎも聞こえるし、山の空気にも毎日つつまれていられるし、ーーそう言っていました」
 わたくしが妻のことを思い出したのはもちろんでしたが、それは、同じ病名から思い出したというよりも、むしろ、彩さんの話から浮かび上がってくるお姉さんの姿が、そのまま妻の最期のそれを、懐かしく、なにかいっそう真実に近いかたちで蘇らせるように感じられたからです。あの都心の病院のこと、晴れない気持ちで見舞いに通った日々、アルミサッシの窓を開けるとすぐに入ってきた、車の騒音や煤煙 … そういったものもいっしょに思い出され、いま話に聞いたお姉さんの最期と比べると、妻の最期には、やはり惨いようなものがあると、あらためて思えてくるのでした。
 「妻も癌だったんです。でも、…お姉さんのほうが幸せだ」
 口をついてうっかり出てしまったそんな言葉に、わたくし自身が驚いて、話を少し変えようとして、
 「それで、お姉さん、どんな方だったんですか?」
 彩さんは、たぶん、写真を見てもらうのが一番いいだろうと言って、仏壇のあるお祖母さんの部屋までわたくしを連れて行きました。

 (第四章 続く)



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