2017年11月14日火曜日

『せせらぎ』(譚詩1991年作)  4


 (承前)

永遠の祝福たる日常!
まさに、そう呼ばれるべき日々でした。朝の目覚めに始まり、手早くいれたコーヒーの香りも、どこか湿ったような新聞のあの手触りも、わたくしにとっては、朝ごと朝ごと、新鮮に開花する異国のめずらしい花を目にするようでした。焼けたパンに落とす時のバターのもどかしい固さ。切り分けた洋梨をテーブルに置く妻の手に首を摺り寄せる、子猫の妙に生真面目な幸福のしぐさ。とりどりの薔薇、スミレ、蘭の縫い取られたショールの上を滑る彼女のしなやかな髪の流
天国というものの出現は、時には、なんと自然で易々としているものなのでしょう。わたくしは、明らかに天国にいたのです。ふたりがともに生きてあるかぎり、いつまでも終わることなく続く天国。いや、あるいはあれは、死によってさえ終わることのない天国であったのかもしれません。そもそも、死によって、なにが本質的に変化するというのでしょうか。融通のきかぬ、重く鈍い躰と心から解き放たれることで、すべてはさらなる永遠の相の下に輝きを増すのではないでしょうか
 朝食を終えると、荷物を携えてわたくしは職場に向かうのでした。わたくしは都内の私立の女子中学と高校で美術を教えていました。学校は家からさほど離れてはおらず、歩いて十分から十五分ほどの道のりでした。毎朝、学校が近づくにつれて、女生徒たちの姿が見えはじめます。教え子であってもなくても、たいていの生徒たちはわたくしが教師であることを知っていますから、みな、わたくしに向かって朝の挨拶をしていきます。黙礼をして過ぎる生徒もいれば、はっきりとした声おはようございますと言ってくれる生徒もいます。どちらの場合でも、わたくしには、まるで冷たい清流で埃を落としたばかりの、真っ赤なサクランボに唇を当てる刹那のような爽やかさが感じられたものでした。
 わたくしは、いくらか旧いかたちの倫理観や幸福観を抱いていたかもしれません。というのも、こういう生徒たちの姿に接しながら、適度の礼節があり、爽やかに生徒たちと教師の間柄が保たれている時には、教師であることはなんと幸福なことかと実感していたのですから。
 わたくしの感じていたこのことが、実感であるどころか、世間知らずの青二才が抱く安手の幻影に過ぎなかったと考える人たちも少なくないであろうことに、わたくしとしても、気づいていないわけではありません。しかしながら、幸福とは、幻影の脆弱さに巧みに目をつぶり続ける一種の平衡感覚によってこそ保たれる、心のオーロラのようなもの以外の、なにものでありうるというのでしょうか。旧く見える倫理観や幸福観の持ち主であることは、けっしてその人物が旧い心性や思考法の持ち主であることを意味はしないものです。その人物は、少し旧く見える装置を使って、幸福という心の霧を作ることにしただけなのです。
 霧…… 霧はけっして、醜いものや現実の倦怠を隠すことによってのみ、あれほど美しく風景を現出させるのではありません。霧そのものに、なにか実体的な美があるのです。そういう霧を作りおおせるのならば、装置の新旧など、なにほどのことでしょうか。
 わたくしは、わたくしの旧い装置で十分満足していたのでした。適度の礼節、爽やかな師弟関係、そのうえ、家にはわたくしの若い、若い、水晶の中でも稀な一種のそれのように白い肌を持った、そして、触れれば必ず、冬のローマの朝の石像のように冷たい耳たぶの妻…
 あの幸福の中を、あの霧の中を、静かに、慎み深くさえある足取りで、妻の死は近づいて来ていたのでした。

 (第一章 続く)


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