2017年11月30日木曜日

“ふつうを捨てよ”

 
ときどき
けっこう強いことばで
“ふつうを捨てよ” 
あたまに響くようになった

しだいに強く感じてきていることを
まァ
あたまが勝手に
ことばに翻訳しているんだろうけれど

ふつうの人ならこうするだろう 
とか
ふつうはこう思うだろう 
とか
ふつうならこう感じるだろう 
とか
そういうのを
“捨てよ”
響いているように感じる

この国のふつうは
心を狭くし
じわじわと困窮させ
自助力をだんだんと枯渇させて
それを補完しましょうと
かならず
企業が鵜の目鷹の目で入り込んで来て
金を吸い上げていくしくみの中に
人を絡み込んでくる
そんな
ふつうだ

基礎ぐらい
だれもが科学で習わされたはずの
放射能の知識も
平気でねじ曲げて
大丈夫だ
大丈夫だ
とごまかし通そうとする
そんな
ふつうだ

本来
勝手に
わがままに
好きなように生きるべき
ひとりひとりのために
ひとりではやりづらいことを
サービスしましょう
だから
ちょっとは負担を受け入れ
ひとりらしさを我慢してもらって
互助会として
国を保ちましょう
というのが近代国家なのに
いつのまにか
いいとこ取りをする寄生虫たちのために
勤勉実直なひとたちが
体液を啜られ続けるしくみになって
なになに
それが国家っていうものです
さあ
払った払った
税金も
どんどん高くするいろんな代金も
というのが
そんな
ふつうだ

そんな
ふつうを
もうサッパリと
“捨てよ”
けっこう強いことばで
衝かれている

内部から?
超えたところから?

“ふつうを捨てよ”

“ふつうを捨てよ”

もう
“ふつうを捨てよ”


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