2017年12月31日日曜日

思い出したり思い出せなかったりしてみているだけのこと


雪のちらつく朝
知恩院の法然上人御堂に入ったら
法話に出くわし
列席者が三人ほどしかない
大きな寒い御堂で
ながながと話を聞き続けていた

その後
法要がはじまり
ちょうど数日前に叔父が亡くなり
叔父は浄土宗なものだから
暮れも押し迫った浄土宗の総本山で
叔父のことを思うのも
なかなかいい供養かと思い
からだが凍えていくのに耐えながら
酔狂もいいところ
二時間ほど聞き続けていた

たぶん
このせいだろう
すっかり風邪をひいて
鼻水がひどくなった
この歳末の京都は
鼻水の京都だ
冷えきったからだで
円山公園もまわり
高台寺あたりもまわり
もちろん八坂神社も
行ったり来たり
出たり入ったり
なにが楽しいんだか
目的のない徘徊をし続け
風邪は完成に向かっていった

若い頃とちがって
こんな程度の風邪で活動をやめるようなことはしない
からだはしっかり鼻水を出し
痰を出すべく咳き込んでくれるので
治療はからだに任せておく
薬など買わない
飲まない
困難な今生の航海を
ここまで運んで来てくれたからだを信じて
回復も終焉も
もうすっかりからだまかせだ

最後に寄った建仁寺も寒かったが
寺の雰囲気がよく
面白いものもいろいろ見られて
いつも無計画に徘徊するじぶんの
その気まぐれぶりが
さいわいした
寺を出てから祇園の町にまぎれていく夕べ
さらに温度は下がり
こりゃあ風邪を引くかもしれん
などと思ったが
もう引いているんだから
気分は安泰であった

これで急死したりすれば
寒い京都の思い出とともに逝くわけで
来世は京都人に生まれたりするかもしれないが
それも酔狂だろうかね
などと思って
からだの勝手に動くままに
鼻水を出したり
咳き込んだりしている

そうそう
うちの父方は
もとは京都住まいの武士だったらしく
ある時
関東へ下る僧を守護して
京都を後にして旅に出たという
鎌倉時代のことで
それ以来
関東に定着した
僧が真言宗だったので
代々の墓は鎌倉時代以来
ずっと真言宗の寺に残ってきている
系図は筑波大学の学者が研究対象にしているらしい
京都や奈良に来ると
鎌倉なんかずいぶん新しい時代だと感じるが
古さや新しさを云々したいわけではない
京都には遠い深い縁があるらしい血筋なのを
千年ちかく経た後の末裔のひとりが
千年ちかくの間の代々の先祖の切った張ったの生の後で
ぼんやりと
まるですべて我がことのように
しかしどこかのお伽噺の
うろおぼえの継ぎ足しのように
思い出したり
思い出せなかったり
してみているだけのこと



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