年末の京都では
驚くのを通り越して
うんざりするほど
外国人旅行者たちの自撮りが目立った
私の内心は
いつも先ずは乱暴な言葉の飛び交う時空なので
馬鹿じゃないのか?
と思い続けたが
テレグラフ紙の記事に
自撮り依存症という精神疾患を
アメリカ精神医学会が分類項目として検討中だとあって
そうか
あの人たち
馬鹿じゃなくて
精神病なのか!
と思い直したりした
自撮り批判をここでしたいわけではない
そういうのは
雑文で儲けたり有名になろうとするネット評論子に任せる
私がけっこうショックだったのは
清水寺の参道でも
伏見稲荷の千本鳥居でも
往来を邪魔しながら熱心に自撮りしている人たちの顔顔顔が
面白いとかつまらないというレベルを超えて
私にはどうでもいい煩わしいヘノヘノモヘジにしか見えなかったこ とだ
インスタ映えしようとして
こんなにアングルに気を使って試行錯誤しながら
彼らが撮り続けている彼らの顔顔顔が
あまりに私にはどうでもいい
殲滅収容所に山積みにされた死体の顔顔顔や
ガザやシリアやイラクの虐殺の後の死体の顔顔顔や
東京大空襲後の死体の山の顔顔顔などのほうが
よっぽど見つめるべき顔顔顔に見えたことを思い出し
私の心はなんと冷たくなってしまっていることかと
私は私自身について寂しい思いがした
いくらなんでも
人間の顔ではないか
それが煩わしいヘノヘノモヘジにしか見えない心を
どう扱ったらいいのだろう
そんな困惑を
ちょっと
いや
けっこう
抱えてしまった
言いたいことはいろいろあるし
これを機会に考えたいこともいろいろあるが
この問題は
ま
ここまで
だって
これ
行分け形式で記しているからね
書き過ぎると
それこそ
自撮りっぽくなっちゃうからね
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