2018年2月27日火曜日

思いとか心とか



心というものついて
四六時中ひとはうずうずと語っているが
はたして
心というべきか
思いというべきか
むずかしい

思想とか思考ということばも
迷いもなく力まかせに打つメンコみたいに
ずいぶんバシッと使われることが多いが
たいていの場合は
思い
と呼んでおくぐらいでいいんじゃないか
と感じる

マルクスの思い
とか
ハイデガーの思い
とか
トマス・アクィナスの思い
とか
西田幾太郎の思い
とか

そんな感じで
十分じゃないかと
思う

マルクスの心
とか
いうと
たちまちアヤシクなってくるから
思い
でいいんじゃないかな
と思う

だいたい
人間の精神現象は
いろいろな
思い
の束のからまりでできていて
それらが
おなじ意識の中の
別の束と衝突したり
精神電流のショートや断絶を起こしたりすると
肉体の血流状態に影響を与える
そんな影響を
と呼んでいるように感じる

心は
だから
なかば肉体的なもので
思いと肉体のあいだに発生する
熱や
温度のようなもの

べつの見方も
定義のしかたもあるだろうし
あっていいと思うが

とにかく

心とか
思いとか
こんな基礎中の基礎の用語さえ
よく定めずに
平気で生きてきているのが
人間という
とんでもないもの



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