どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、 みだりに悲観もせず、
楽観もせず、 生き通して行く精神ーーそれが散文精神だと思ひます。
それは直ぐ得意になったりするやうな、そんなものであつてはならない。
(…)この国の薄暗さを見て、直ぐ悲観したり滅入つたりする精神であつてはならない。
そんな無暗に音を上げる精神であつてはならない。
さうではなくて、それは何処までも忍耐して行く精神であります。
アンチ文化の跳梁に対して音を上げず、何処までも忍耐して、
執念深く生き通して行かうといふ精神であります。
ぢつと我慢して冷静に、 見なければならないものは決して見のがさずに、
そして見なければならないものに慴えたり、戦慄したり、 眼を蔽うたりしないで、
何処までもそれを見つめながら、堪へ堪へて生きていかうといふ精神であります。
広津和郎『散文精神について』
ボワローだったら
ユゴーだったら
ブレヒトだったら
スゥイフトだったら
トーマス・マンだったら
なにより旧約聖書預言者たちだったら
全身から発火するほどに
熾烈な批評詩や警句を連発し続けただろうかナ
そんな時代だろうかナ
そんな政権だろうかナ
いやいや
海外に探さずとも
江戸期の戯作作家や狂歌師たちだって
明治期の宮武外骨だって
この機会
逃がしはしなかっただろうかナ
けれど家畜人ヤプーのぼくら
従順にして
文弱にして
怯懦にして
ーいやぁ、ひどいもんですねぇ
ーいやぁ、にっぽんも堕ちたもんですねぇ
ーいやぁ、この国は革命しませんからなぁ
ーいやぁ、なんでもお上からの下り物を戴くばかりですからなぁ
ーいやぁ、こういう国民性なんでしょうなぁ
ーいやぁ、民衆はなにを考えとるんでしょうなぁ
ーいやぁ、まったくですなぁ
ーいやぁ、アメリカさんに直訴でもするべきですかなぁ
ーいやぁ、裏でアメリカさんが糸を引いてるんでしょうなぁ
ーいやぁ、70年間支配されたままですからなぁ
ーいやぁ、父世代も祖父世代も臆病者世代ですからなぁ
ーいやぁ、立派な男はみんな堂々と散ってしまいましたからなぁ
ーいやぁ、臆病な生き残りの子や孫のわれらですなぁ
ーいやぁ、本当の敵はやっぱり相変わらずあそこだけですなぁ
ーいやぁ、望むらくは内戦や巨大噴火があそこで起こればですなぁ
ーいやぁ、先住民を殺戮して乗っ取ったあの土地でなぁ
ーいやぁ、あの大統領は民度そのままを表わしてますなぁ
ーいやぁ、うちらのとこだって民度そのものの政権ですかなぁ
ーいやぁ、世界こぞって、民度が露骨に出てきましたなぁ
ーいやぁ、それにしても、いつも他人任せのわれらですなぁ
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