2018年10月27日土曜日

誠に誠に


戦争中、私は少々しゃれた仕事をしてみたいと思った。
そこで率直な良心派のなかにまじって、たくみにレトリックを使いながら、
この一連のエッセイを書いた。良心派は捕縛されたが、私は完全に無視された。
今となっては、殉教面ができないのが残念でたまらない。
思うに、いささかたくみにレトリックを使いすぎたのである。
                                                   花田清輝 『復興期の精神』 初版跋
  

武装勢力に長期間拘束されていたジャーナリストが釈放されて帰国したが、混迷極まる現代の国際情勢の中でいやしくも一国家たるものが権謀術数の積極的な諜報活動を常時行っているということは常識中の最重要常識なのであって、当該ジャーナリストが日本国の最高レベルの諜報機関から派遣された諜報員だったのは先ず間違いのないことでなければならないはずであり、三年四か月の間拘束されていたかのような見事なカモフラージュの下で彼は縦横無尽の活動を行ったであろうばかりか、中東を我が大日本未来帝国の新たな植民地とするための大掛かりな準備の一環を担っていたであろうことも想像に難くないのである。そもそも、かのISなるものがじつはアメリカ合衆国やヨーロッパ諸国や昨今お馬鹿なお騒がせのサウジアラビア非民主主義王国等そのものであったように、今回のジャーナリストを拘束した武装集団もじつは我が日本国の先行部隊たちであって、拘束したり拘束されたりという偽装の下、現実には一体となって、海外諜報機関の拡充と活動に努めていたのであろうことは疑いがない。国家としてのこうした大人の事情をも推測できずに、勝手に渡航危険地域へ赴いた者の自己責任を騒ぎ立てるなどというのは、なによりも、世界に冠たる権謀術数の能力と実績を誇る我が日本国の力量を端から認めないがごとき非国民的なる所業であると言わねばならないであろう。混迷地や戦地には如何ようにも利用できる幾つもの小隊を、先ずは出自の不明確な武装集団や犯罪集団として、あるいは武器から奴隷まで様々なものを扱う闇商人の群れとして派遣しておくのが現代国家たるものの常識であり、今回ももちろん、あらかじめ構築しておいたそれら先行集団のひとつに拘束主体の武装集団を演じさせ、特務を帯びたジャーナリストをそこへ赴かせたと見るのでなければいっぱしの大人の国家としての我が日本国が廃るというものである。もちろん、活発な諜報活動の現実を隠すためには、自己責任論をあげつらってひとしきりコーラスを演じるウグイス嬢たちならぬキャンキャンおやじたちが必要とされるわけであって、それらももちろん周到に準備された演出のひとつに過ぎない。そもそも、自己責任論なるものは、能力も資質もなければろくな働きもする意志のない憲法の精神もろくに学んでいない国会議員たちにこそ向けられるべき刃であって、誰が望んだわけでもないのに勝手に自らの無能を棚に上げて立候補などしくさり、たまたま有権者のうちの愚かなる多数が投票してしまったがために、あるいは、選挙偽装機械というか当選捏造機械というべきムサシによって当選とされてしまったがために議員になどなってしまった者たちが、まったく彼ら自身の価値に見合っていないご大層な身辺警護や各種特権をあたり前のごとく与えられる際に甚だしく浪費されてしまう国費のもったいなさをつらつら思えば、身辺警護を取り去った際に彼らの身に及びかねない危険についてこそ正に自己責任だ!と言われるべきであり、各種特権を剥ぎ取られた際に彼らが蒙る不便さについてこそ正に自己責任だ!と言われるべきものなのであって、誠に誠に自己責任というのは現今の日本国においてはこのようにこそ使用されるべき熟語なのであるのは、これもまた、論を待たない。




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