2019年2月23日土曜日

書きつけ 2


変容や悟りを語る体系のあやまちがふいに明瞭にわかる

彼らは死を知らないゆえに

死は偉大であり
それによってひとりの例外もなく全的に変容し悟る
死以前の修行は一切不要である
あらかじめ人は救われていると教えた覚者たちはこのことを言っていた
誰ひとり洩れることなく全員が悟る
全員が変容しそれまでのあらゆる有限さを落とす
かならず瞬時に無限となる

死を待ち望み
死にすべてを託すのがよい
地上のすべてを死は超えている

わたしが生まれていなかった頃
つまり居なかった頃
つまり死んでいた頃
わたしにとってなにひとつ重大事はなく問題もなかった
死がふたたびそれを齎す
わたしにとってなにひとつ重大事はなく問題もなくなる

宗教は死を平穏と呼びたがるが
間違っている
平穏も平穏でないこともともにそこにはない
一般に人間が思い描こうとするような無もそこにはない
なにもないのではない
死はこれのようでなく
それのようでなく
あれのようでない
それでも猶もなにかに喩えてみたいなら
死は大気のようであり
大海のようであり
目も口も鼻も耳も肌感覚も内臓感覚も失っての
極限の“開かれ”のようであろう

わたしという語がもっとも内実とすべきは死であることに
死の時
誰もがすぐに賛同するだろう

死の時に
わたしは来る
わたしに繋がっていなさい
と語った覚者たちは
死そのものを伝えようとしてそう語った

死を超える大師はいない
死を超える導師はいない

心配する必要はない
慌てる必要もない
死者の書などで学ぶ必要もない
鎮静剤でしかない経典を学ぶ必要も唱える必要もない
死は一切の者を差別せず扱う
今これが自分だと思っているこれを死は一瞬に消す
今それが自分だったと思っているそれを死は一瞬に消す
今あれが自分だろうと思っているあれを死は一瞬に消す
死に包まれれば今さえ無いことそのものになる

あらゆる類の自分
あらゆる類の時間
あらゆる類の場所
それらが消える

ならば今わたしはどうであればよいか
思念になにを浮かばせ
感情をどう見なせばよいか
もろもろの価値のバザールでどれを握りどれを握らないか
身や心に降り注ぐ風雨を過大に騒ぐべきかどうか

それらに即座に答えが出る
死を師とすれば
死を導師とすれば



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