2019年6月23日日曜日

三俣弘さん……




We can be but partially acquainted even with the events
which actually influence our course through life, and our final destiny.
Nathaniel Hawthorne  David Swan

われわれの人生行路や最後の運命に、実際に影響を与えるような出来事の数々についてさえ、
われわれはごく一部しか知ることはできないものである。
ナサニエル・ホーソン『デイヴィド・スウォン』



急に「小樽のひとよ」が聞きたくなって
鶴岡雅義と東京ロマンチカのレコードを探している
ぼく
ではなくて
1982年の三俣弘さん
翌年に自殺なさったので365日すべてを生きられた最後の年
ぼく
は偶然に都内の喫茶店で三俣さんに出会い
淡い交流が始まっていた

細かいことを書き並べようとは思わない
あらゆる物語は
三俣さんのこともその他の人たちのことも詩歌形式でではなく
小説形式でいずれ物語ろうと思っているので
物語なるものがすべて中途半端にならざるを得ない詩歌形式には
原石を委ねてしまいたくないから

三俣さんからは
「小樽のひとよ」探しの夜ののちの数日後に手紙が届いて

「あなたにどれほどあの歌の歌詞が痛切であるか
「きっとおわかりにならないだろうと思うのですが
「わたしは……

とだけ書かれた手紙が届き
これらの文の後には
どこを探しても
裏を探しても
続きが見つからないのだった

職場や学校を同じくするのでない人と会う約束をするには
まだ電話をかけるくらいしか方法のない時代で
ぼく
はぼくの勉学や興味の方向をまったく理解しないつめたい遠い家か
誰もいない午後に盗むように電話して
三俣さんの下宿の大家さんに彼を呼び出してもらった

三俣さんからは聞いていた
「下宿の階段を下りると大きな桜の樹があって
「春にはそれはみごとな満開になります
「夏には葉はうっそうとして毛虫もときどき落ちてきまして……

ぼく
は電話したのがいつの季節だったか覚えていない
桜の花が咲いていた頃だろうか
葉はうっそうと茂っていた頃だろうか
電話がかかってくると
ともかくも三俣さんはその樹のまわりを半周まわるようにして
大家さんの家のほうに抜けて
そこの玄関にある電話の受話器をとるのだった

「三俣さん、戴いたお手紙の文面が
「途中からなくなっているんですけれども、あれは……

その後なんと言ったか
言わなかったか
ぼく
はもう覚えていないけれど
きっと
型どおりの日本語で
続いていく文面を聞き出そうとしたのだっただろう

三俣さんが唐突な感じで答えた内容は
しかし
よく覚えている

「『小樽のひとよ』の最初のほうの歌詞はだれでもよく知っています
「けれども
「最後のほうはどうですか
「♪かならずいくよ 待ってておくれ 待ってておくれ
「というんですよ
「それもね
「♪語り明かした吹雪の夜を ああ 思い出してるぼくだから
「とその前にはあってね
「そこに最初のほうの
「♪逢いたい気持ちが ままならぬ
「♪北国の街は つめたく遠い
「をふり返り直して
「考えあわせてみますとね
「わたし、くずおれんばかりに感動いたしました!
「ああ、『つめたく遠い』というのが
「冷たくもなく遠くもなく
「なんと温かいことであろうか!
「わたし、こんなに温かい思いに触れたことはなかったです!

突然こんな奇妙な激情にさらされて
ぼく
はずいぶん途惑い
ろくな受け答えもできなかったはずだが
よく覚えていない
たゞ三俣さんが言う「つめたく遠い」の温かさや遠くなさはわかる気がして
日本語十八番の
なるほど
そうですねぇ
などを連発しながら
受け止めの姿勢を電話口から伝えようとしていたように思う

ところで「小樽のひとよ」のレコードを
はたして三俣さんは
その夜探しあてたのかどうか
それとも他の日に買い直すことにしたのか

どれも遠くに流れ去った時間の
どの引き出しにしまわれてしまったのかわからず
それでも少しでもあれらの時間に近づこうと努めながら
ぼく
は「小樽のひとよ」のはじめのあたりをしきりに鼻歌したりしながら
三俣さんがけっして見ることなかった1983年以降の
渋谷駅をせわしく通過し
新宿駅をせわしく通過し
東京駅をせわしく通過し
銀座駅をせわしく通過し
あゝ、どこに行き着こうとしているのだろう
ぼく
はたったひとりで
2017年に亡くなったリードボーカルの三條正人が見ることのなかった
令和色に染まり出して来ている
有楽町駅をせわしく通過し
日比谷駅をせわしく通過し
三越前駅をせわしく通過し
三條正人の妻の健在の香山美子の見知っているであろう
上野駅をせわしく通過し
東銀座駅をせわしく通過し
東京ロマンチカのリーダーで健在の鶴岡雅義の見知っているであろ
恵比寿駅をせわしく通過し
大手町駅をせわしく通過し
新橋駅をせわしく通過し

三俣さんにはちょっともうしわけない気もするが
なぜだか
ファンでなどまったくなかった
キャンディーズの「あなたに夢中」の
みごと過ぎるあのハーモニーを突然思い出して
スーちゃんがじつはなんと上手かったか
そういえば
ミキちゃんがちょっと老けたような人がいまの職場にいるなぁとか
最近活動再開した伊藤蘭の顔が
じつはけっこうじぶんには好みかもしれないとか
ヤクタイもないことを思い

もう一度
真剣に思い出そうとする
三俣さんが見つけようとあんなに躍起になった「小樽のひとよ」の
レコ-ドの
きっと奏で得たであろう
歌詞
三俣さんがあえて指摘したのとは違うところの

「小樽は寒かろ 東京も
「こんなにしばれる 星空だから

ふたたび滲み抜かれて
温かさへと
抜け出ていこうと
…しています、三俣さん

三俣弘さん……





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