2019年7月31日水曜日

小虫のように日の移ろいのように吹き散らされる埃のように




地獄の小径は希望でいっぱいだと言う。
よかれとの願い、希望、夢、虹、理想で。
天国の小径はまったくの空っぽだ。
         OSHO



いろいろな人たちが時間を流れていった

みんなそれなりに健康に気を遣ったり
ああするよりこうするほうが楽しいとか
これはあれでなくてこっちに限るとか
ちゃちなこだわりを披露したりしていた

いろいろな人たちが時間を流れていった

ぼくはかれらの舞台には参加しないで
だいたいはまわりに立って眺めていた
かれらの舞台に意義があるとは思えず
ほとんどのところ共感できなかった

いろいろな人たちが時間を流れていった

柔軟さを気にしてヨガに凝っていた人も
毎夏ふんだんに別荘暮らしを楽しんでいた人も
金にあかして諸国の美食に凝っていた人も
地道なワイン作りを楽しんでいた人も死んだ

いろいろな人たちが時間を流れていった

働かないでいい境遇の富裕な人も
ダメ本を運よく量産できて自慢していた人も
寄生虫のように人にたかるのが上手かった人も
あまり才能も根気もなかった教授たちも死んだ

いろいろな人たちが時間を流れていった

どれもこれもあってもなくてもよかったような人生で
かれらがあんなに気にしていた舞台はもう廃屋で
小虫のように日の移ろいのように吹き散らされる埃のように
いまではだれも思い出しもしないし覚えてもいない

さようなら
いろいろな人たち

せっかくの地球体験だったのに
ただ気を散らし続け
駄菓子屋のおもちゃのような価値にああだこうだ拘泥し
自分のからだと心の関わりぐあいも凝視せず
意識の底の底にある洞の探求もせずに
幼稚園の休み時間の園庭のような騒ぎを追うことばかりに夢中で
けっきょく心もからだもただ疲弊させ
ついに「時間」を止めることのできなかった
ひとことで叙せば
ようするに
たんなる失敗例さんたちの数々よ

さまざまなる意匠の
散り去りよ
とろけ落ちよ
乾涸らびの末の崩れ落ちよ
ほんとうになにひとつ残らなかった
純粋といえば純粋この上ない
エネルギーと時間と思念と感情と……
蕩尽遊びよ




0 件のコメント:

コメントを投稿