2019年12月21日土曜日

余ったチケット



六本木一丁目の泉屋博古館分館で「金文ー中国古代の文字」展を見、外に出た後、招待券が一枚余っていた。チケット売り場の近くで、これから入場しようとする誰かにあげようとした。丸く刈り上げた頭の、ベージュのダウンを着た、すこし太り肉の大柄な銀縁眼鏡の男性の腕をかるく突いて、「これ、要りませんか?」とチケットを見せると、「あ、」と一瞬とまどった後、彼は、「い、い、いえ、要りません。いいです」と拒んだ。

そうですか、それじゃあ…、とチケットを引っ込め、彼からは離れたが、せっかく千円ほど浮くことになるのに、とちょっと残念に思った。こちらとしては、もともと貰い物だったので、余ったチケット一枚ぐらい、無駄になってもいっこう困らない。

歩き出しながらその場を離れ、チケットをポケットにしまおうとしたが、そこへ別の男性が来た。白髪まじりで、50代から60代だろう、かるく口髭を生やしていて、この人も眼鏡をかけている。

いちおうこの人にも、と思って、「これ、チケット、要りませんか?」と聞いてみると、「あの…、割引券ですか?」とはっきりした口調で聞き返してきた。「いや、招待券です」と言うと、「えっ!いいんですか?いただいちゃって?」と、これまた、ずいぶんはっきりした口調で言うから、「ええ、どうぞ、余ったんです」と答えると、「いやあ、ありがとうございます」ということになって、渡すことができた。

博古館分館を離れながら、庭園にある木々の紅葉をゆっくり見て歩いて行くうち、ひょっとしたら最初の男性も、割引券を渡されるとでも考えたのか、と思いついたが、それよりもむしろ、チケット売り場の人から見られているかもしれないので対面を保とうとでもしたのか、と思い直した。

いずれにしても、こんな小っぽけなことでも、素直にものを受け入れる人と、あえて拒む人がいる、はっきりと差が出る、と思った。とっさに来る予期せぬものを、いいものかどうか、適切に判断してスマートに受け入れられるためには、瞬時の柔軟性が要る。そんな柔軟性が育まれるには、おそらく、長い修練の時間が必要なのにちがいない。

そんなことを思いながら、六本木一丁目のあたりの、ここやあそこの高層マンションに住んだら便利だろうか、どんなものだろう、と見上げてみたりした。



*「金文 古代中国の文字」展(住友コレクション 泉屋博古館分館。2019119日~1220日)







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