Le souvenir d’une certaine image n’est que le regret d’un certain instant ; et les maisons, les routes, les avenues, sont fugitives, hélas ! comme les années.
Marcel Proust : Du côté de chez Swann dans A la recherche du temps perdu
古本屋
何軒かをまわって数冊買い込み
ついでに寄った店に
さがしていた「栄花物語」上下があった
ずいぶん本の扱いのわるい
乱雑な並べ方のしょうもない店で
肌に粉をふいたような顔のオヤジが
煙草を吹かしている
見つけた「栄花物語」は岩波の昔の古典大系本で
外箱にはちょっと歪みや汚れがあるが
内部は汚れておらず
全体としてはまあまあかな
という感じ
上下二冊で1500円というのは
高いか
安いか
正直なところ
岩波のこの古い版は今はずいぶん安くなっていて
一冊で100円というところもザラ
たゞ
「栄花物語」は
あまり見つからなかったりする
ま、買っておくか
とオヤジのところに持っていき
1万円と500円玉を出すと
急にオヤジは激して
「貧乏な店で1万円なんて出しちゃいけない
「ちゃんと小銭を持ってこなきゃ
「万札は大きな店で使って崩して来なきゃ
とかなんとか
「じゃあ、やめとくよ
「近いから、また来ますよ
「どうせ、これ、売れないだろうからね
そう言って
店を出てきたが
俺も
しかし
寛容になったもんだよなぁ
「釣り銭ぐらいちゃんと用意しとけ
「このクソ古本屋め
ぐらい
言ってやっても
よかったようなものだものなぁ
と
二十代の頃
下北沢の書店で店主を張り倒して大喧嘩したのを
ちょっと懐かしく
思い出した
棚置きの漫画週刊誌の上に買い物のレジ袋を置いて
手に取った本を見ていた時に
店主が注意してきたのに激怒して
張り倒して
毒づいたのである
抜き身のナイフが歩いているような…
と言われた頃の
ほうぼうで喧嘩していた
若き日の
書店での逸話
茶沢通りから下北沢駅に入る道の角にあった店だが
いつのまにか
なくなって
携帯電話販売店にかわり
さらに
その後はどうなったか
わからない
ちなみに
どこの書店でも喧嘩していたわけではない
住んでいた池の上の
駅前にあったエンゼル書房では
店長夫婦と
ずいぶん仲がよかった
赤と緑の装幀の「ノルウェーの森」上下が積み上げられ
一部のこじんまりした読者だけに好まれるたんなるオタク作家から
売れ筋作家に村上春樹が変貌していくのを見たのは
エンゼル書房の中でのことだったし
トンデモ本やオカルト本やスピ系本好きが嵩じて
大川隆法がまだ「幸福の科学」など作らず
善川三朗とともに出していたたくさんの霊言集をぜんぶ立ち読みし たのも
池の上駅前エンゼル書房でのことだった
九年前か八年前くらいになるか
マイふるさと探訪「池の上」編をやってみた時
もう
エンゼル書房はなくなっていた
あゝ、まことに
まことに
あるイメージを思い出すというのは
ある瞬間への哀惜そのもの
家々も
道も、
大通りも逃げ去っていってしまう!
あゝ、年月のように!*
*マルセル・プルースト『失われた時を求めて』の『 スワン家のほうへ』末尾をそのまま引用。
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