2020年1月19日日曜日

太田垣蓮月


幕末の騒動などは
その時代を生きた人びとには驚くほどのことでもなくて
どこで天誅があったとか
どこで新撰組がどうしたとか
じぶんたちには関わりのないことと
さほど気にもせずに暮らしていたのか
と思ったりもするが

世のなか騒がしかりける頃
夢の世と思ひすつれど胸に手をおきてねし夜の心地こそすれ

伏見よりあなたにて人あまたうたれたりと人の語るをきゝて
きくまゝに袖こそぬるれ道のべにさらす屍は誰が子なるらむ

太田垣蓮月のこんな歌を読むと
いちいちの騒ぎに
やはり
いまの人間たちのように敏感に反応して
恐れたり
こころを痛めたりしていたものかと気づき直させられる

夫をふたり亡くし
産んだ子どもは四人も亡くしている彼女なので
寺田屋騒動と思われる事件で殺された武士たちの屍をも
「誰が子なるらむ」
と受止めたわけか
方々で
人が人を切り切られ
という時代に
それでも
こういう見方をしていた人があったかと
気づき直させられると
やはり新鮮な気持ちになる
驚かされ直す

出家後の蓮月は
生計を立てるために陶器制作をしたが
自作の歌を釘で刻んでから焼いた作品は蓮月焼と呼ばれ
人気を博したという
上田秋成や香川景樹や小沢蘆庵を師とし
橘曙覧などを友とし
若かった富岡鉄斎を侍童としていた
京都の西賀茂村神光院の茶所で高齢で亡くなったが
飢饉のたびに私財を投げ出して救おうとした人であったから
葬儀には多くの人が集まったという
太田垣蓮月の時代というものが
京都にはあったものらしい

述懐
日かげまつ草葉の露のきえやらで危く世をもすごしつるかな

動乱の時代を生きたということもあろうが
むしろ
自分に関わる親しい人びとをつぎつぎ失う運命を与えられた人の
素直な述懐の歌と思える



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