2020年2月7日金曜日

詩は召喚され続ける




ぼくは先祖たるガリア人から青白い眼を譲り受けた。ちっちゃな脳みそや、戦いの不器用さも。ぼくの服の着方はかれらみたいに野蛮。でも、髪にバターを塗りたくったりはしない。
ガリア人たちは獣の皮を剥ぎ、あの時代でもいちばん燻るにふさわしからぬ草を燻った。
 かれらからぼくが引き継いだもの。偶像崇拝、瀆神への愛。おゝ、それに、あらゆる悪徳、怒り、淫乱。―すばらしいからな、淫乱ってのは。―それに、とりわけ、嘘と怠惰。
アルチュール・ランボー『地獄の季節』



アフリカの飢えた子供たちを前に文学は何ができるのか
とジャン=ポール・サルトル

もちろん
なにも

そうして彼は
アンガージュマンの文学に傾いた
現実参加の文学

しかし
現実参加などしなかった文学のほうが
結局
魅力的だったのは
どうしたものだろう
魅力のあるなし程度ならいいが
深みや意味の重層性や
将来的な精神的有効性まで
やはりそちらのほうが勝っていたら
どうしたものだろう

アウシュビッツの後で詩を書くことは野蛮である
とテオドール・アドルノ

たしかに
まこと
たしかに

けれども
おお アドルノ
アウシュビッツの後でも
ひとは詩を書くのです

野蛮な行為と思いながら
アウシュビッツという野蛮をくりかえさないために
詩は召喚され続ける

山野を削り
草木を刈り
動物を狩って喉を裂くという野蛮によって
アウシュビッツの前でも
すこぶる野蛮だった
われら
われらの先祖

ひとは詩を書くのです
ひょっとしたら野蛮の位相転換のために

詩は召喚され続ける
犯されたあらゆる野蛮の総ざらいのために

ちょうど死後に
生前のあらゆる罪を見せつけられる
あの裁きの場におけるように




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