2020年3月3日火曜日

動く影のほうがどれほど哀れに見えていることだろうかと

 

         Life is but a walking shadow.
         William Shakespeare


岬には墓地が二箇所あり
ひとつは恩汝墓地と呼ばれていて
古い墓石が多いためかやや雑然としていて暗く寂しく
もうひとつは青野墓地と呼ばれていて
こちらにも古い墓石はあるものの
比較的新しい墓石が多いためさっぱりした雰囲気がある
新しい墓石には当然お参りも多く
彼岸や盆でなくても
飾られている花があちこちに見られる

恩汝墓地のほうに行くことが多いのは
墓地のむこうの岸壁の風景が美しいからで
海のほうへ抜けるのには
墓地をまわって行く道もあるが
墓地を抜けて行くこともでき
どちらかといえば墓地を抜けて墓のあいだを辿っていくほうが
いちばんいい場所にいきなり出られるので
わたしとしてはそちらを行くほうが多い

あまり朝方に行くことはないが
岬が西に向いていることもあって夕景がきれいなため
日没の風景に浸るのを狙って
暗く成り出した頃に墓地を抜けていって
陽が沈んでしまうまで岸壁に立っている場合もある
帰りは当然ながら暗くなった墓地のなかを戻ってくるので
われながらいささか陰鬱な散策だと思うが
それでも怖いとか厭だと思ったことはこれまでない
墓石というのは日没後の暗闇のなかではそれなりの趣を持つもので
闇のなかの石というのはこういうものなのだなと
いつもどこか感心させられる
不思議なもので墓という場所への恐れのようなものは
闇のなかの石の雰囲気の趣に勝るものではない気がする

墓石たちのほうから見れば
(わたしは物たちに意識がないとは思えない……)
日没後の闇のなかを歩いて行くわたしなど
歩く影でしかないと見えるだろう
闇のなかを歩いて位置を変え続けていく影と
じぶんたちのように不動のままでいる影とでは
動く影のほうがどれほど哀れに見えていることだろうかと
わたしはいつも思ってしまう
若い頃からわたしは夜の廃れた教会の不動の巨大な影や
大きな廃屋の夜の静かな沈黙のさまなどに惹かれ
それらに影としての学びを受け続けてきた
動く影や歩く影は哀れだが
静止した影や不動の影は
なんと頼りがいのある何物かであろうか
いまでもそう思いながら
恩汝墓地の日没後の墓石の影のあいだを歩いて
わたしは仮の宿りへと帰るのである




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