2020年5月21日木曜日

業平



学校などで習ったりして
こころに今も残っている短歌はなにか
と聞いてみたら
若者たちのうちには
在原業平の歌など挙げてくる者が
意外に多かった

様変わりしてしまった世相のようでも
このように
変わらないものがあちこちに潜んでいたりもする
若者たちが
歌といえば小野小町を出してきたり
紀友則を出してきたり
業平を出してきたりする
幕末から変わらないような
歌の古風な流行らぬ好みをずるずると続けていくことにも
どうやら価値はあるようだと
古庭の鮮やかな苔の緑にふいに目を洗われて
ほんのちょっとでも
生きかえったような気持ちになる

業平という名に
墨田区業平に住んでいた義理の叔父を
ひさしぶりに思い出した
もう二十年近く前になろうか
大腸ガンで亡くなった
ことのほかビールが大好きで
一度ほかの叔父と従妹と四人で
神谷バーでさんざんぱら飲んだ時にも
こんなのはまだ飲んだうちには入らない
とふらふらして言いながら
あれをへべれけといったらいいのか
右に左にと傾ぎながら
このあたりは庭みたいなもんだから
となおも言い捨てるようにしながら
吾妻橋を渡って
業平へ帰っていった

ビール大ジョッキをひとり四、五杯飲んだあとで
デンキブランの杯が四人で五十杯以上
食べ物もいろいろ取ったから
支払いは十万を超えたが
叔父ふたりが格好をつけて払ってくれた
業平の叔父を吾妻橋で見送った後
残った三人でさらに新宿のワイン屋に移り
朝まで数本を空けてようやくお開きとなった
おや、忘れてはいけない
神谷バーに行く前には三定で
天ぷらの盛り合わせを何皿か取りながら
すでに数杯はビールを飲んで
サントリーのダルマまで取って飲んで来ていた

業平の義理の叔父は温厚な人で
激したりしたのを一度も見たことがない
酒に乱れたのも見たことがない
そうでもなかったと叔母は言うが
業平でながく紙業と印刷業を続けてきただけあって
ちょっとやそっとでは揺るがない
落ち着いた職人らしさが魅力だった
生きているあいだは法事で会ったりするたび
古代ワルプルギスの夜ならぬ
神谷バーでの例の一夜の酒宴のことを
たびたび持ち出し持ち出し直してきて
自分より酒に強いんだからまったく驚いた
たいていは自分こそが人を介抱してやるんだが
と何度もなんども言われ続けた
他にちょうどいい話題がなかったのも事実だが
酒飲みどうしの話題というのはこんなふうに
あの夜は酒瓶を何本も何本も並べただの
あれこそ鯨飲というやつだっただの
そんな益体もない手柄話が延々と重宝されていく
琵琶の伴奏でも加わってくれば
立派な音曲が幾つもできていくかもしれない




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