わたしの人生の風景がどのようだったか
べつにどのようであったのでもかまわないと
ほんとうは朝から晩まで思えてならない
いろいろな草木のいっぱいある庭の亭に
おじいちゃんとおばあちゃんはいつもいて
おじいちゃんはロッキングチェアをゆらして
よくパイプを燻らしながら本を見ていたし
おばあちゃんは草の植替えに勤しんでいたり
ハーブの新しいブレンドづくりに熱心だった
庭や温室の植物を見てまわるだけでも
わたしの一日はゆたかに暮れ方に向かった
ときどきひとりで館の奥の図書室に行くと
いつも涼しい空気がわたしを待っていた
読めない外国語の本もいっぱいあって
これらをそのうち読み切るだけの人生で
ぜんぜんかまわないとわたしは満足だった
…こんな風景は実際にはなかったのだが
まったく違うおじいちゃんやおばちゃんの
風景を見ながらわたしの心はいつも
こうした風景にゆるぎなく満たされていた
わたしという体の一枚の皮膚のなかには
皮膚の外とは隔絶した風景が確固とあり
たった一度として外の風景を認めたことは
外に1㎜も属さないわたしにはなかった
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