魂の永生を実感として信じているので
正直なところ
なにが起ころうと怖くはないし
なにも起こらなくても怖くはない
やりたいことを続けていかねばならないとだけ思っている
やりたいことだけが内なる導きの糸で
そう、ぼくはやりたいことだけをやり続けるために
やりたくないことや
それほどやりたくもないことを
徹底して二の次三の次にして生き延びてきた
詩にも見えるかもしれないこんな書きつけ物も
儲けも疲れも度外視でやり続けてきているが
それだってやりたいからやっているだけのことで
その点まったく恨みっこなしなのだ
歳をかさねていくうちにたくさんの人が脱落していった
脱落者はけっきょく本物ではなかったのだ
書いても書いても書き足りないほど書くことは無限なのだから
書きたいのなら死ぬまで書くはずなのに
途中で脱落していった人たちはじつははじめから偽物だったのだ
いくら書いても有名にもならなければ
読まれも評価もされないとぼくはさんざん馬鹿にされている
しかしちょっと書いて十数年ほど有名になっても
もし長く生きれば晩年は見向きもされないのが詩歌の現状なので
つかのまの評判を中途半端にとるくらいならば
死ぬまで無評価で書き続けたほうがよほど来世への修練を積めると 思う
死んだ瞬間から日本語を捨ててべつの言語べつの時代に入るだろう が
そこでもあいかわらずむやみやたらと書き続けるほうが
よほどじぶんが誰だったかわかりやすくていいように思う
とにもかくにも年中書いているやつだったに違いないと思えば
来世でも道は迷いっこなしだと思える
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