2020年5月20日水曜日

がたがた言わずに「おっとせい」を読み直しておく



    その息の臭えこと。
    口からむんと蒸れる、
       金子 光晴「おっとせい」 



世間や一般や…
まぁ
いろいろな言い方があるが
ようするに
第二次世界大戦中に
「欲しがりません勝つまでは」とか
「贅沢は敵だ」とか
「月月火水木金金」とか
「鬼畜米英」とか
「八紘一宇」とか
「挙国一致」とか
「堅忍持久」とか
自粛と
右へ倣えと
お上への従順とを
細胞の隅々にまで浸透させようとしてくる
ゾンビたちの臭ぇ吐息から
ほんのわずかながらも
こちらの肺胞をどう守るか
これが
この群島では
大むかしからの生きのびの条件

まぁ
がたがた言わずに
あらたな文字配列など下手に企てずに
光晴センセの「おっとせい」を読み直しておこう
これ一編が日本語に写し取られただけでも
日本語には詩というものがあった!
という
はっきりした証明になるから




「おっとせい」 金子 光晴


.

その息の臭えこと。
口からむんと蒸れる、

そのせなかがぬれて、はか穴のふちのようにぬらぬらしてること。
虚無(ニヒル)をおぼえるほどいやらしい、
おお、憂愁よ。

そのからだの土嚢のような
つづぐろいおもさ。かったるさ。

いん気な弾力。
かなしいゴム。

そのこころのおもひあがっていること。
凡庸なこと。

菊面(あばた)
おほきな陰嚢(ふぐり)

鼻先があおくなるほどなまぐさい、やつらの群衆におされつつ、いつも、
おいらは、反対の方向をおもってゐた。

やつらがむらがる雲のように横行し
もみあふ街が、おいらには、
ふるぼけた映画(フィルム)で見る
アラスカのやうに淋しかった。



.


そいつら。俗衆といふやつら。
ヴォルテールを国外に追ひ、フーゴー・グロチウスを獄にたたきこんだのは、
やつらなのだ。

(くさめ)をするやつ。髯のあひだから歯くそをとばすやつ。かみころすあくび、きどった身振り、しきたりをやぶったものには、おそれ、ゆびさし、むほん人だ、狂人(きちがひ)だとさけんで、がやがやあつまるやつ。そいつら。そいつらは互ひに夫婦(めおと)だ。権妻だ。やつらの根性まで相続(うけつ)ぐ悴どもだ。うすぎたねえ血のひきだ。あるひは朋党だ。そのまたつながりだ。そして、かぎりもしれぬむすびあひの、からだとからだの障壁が、海流をせきとめるやうにみえた。

おしながされた海に、霙のような陽がふり灌いだ。
やつらの見上げるそらの無限にそうていつも、金網(かなあみ)あった。

…………けふはやつらの婚姻の祝ひ。
きのうはやつらの旗日だった。
ひねもす、ぬかるみのなかで、砕冰船が氷をたたくのをきいた。

のべつにおじぎをしたり、ひれとひれとをすりあはせ、どうたいを樽のやうにころがしたり、そのいやしさ、空虚(むな)しさばっかりで雑鬧(ざっとう)しながらやつらは、みるまに放尿の泡(あぶく)で、海水をにごしていった。

たがひの体温でぬくめあふ、零落のむれをはなれるさむさをいとうて、やつらはいたはりあふめつきをもとめ、かぼそい声でよびかはした。



.


おお。やつらは、どいつも、こいつも、まよなかの街よりくらい、やつらをのせたこの氷塊が、たちまち、さけびもなくわれ、深潭のうへをしづかに辷りはじめるのを、すこしも気づかずにゐた。
みだりがはしい尾をひらいてよちよちと、
やつらは氷上を匍ひまわり、
…………文学などを語りあった。
うらがなしい暮色よ。
凍傷(しもやけ)にただれた落日の掛軸よ!

だんだら縞のながい影を曳き、みわたすかぎり頭をそろへて、拝礼している奴らの群衆のなかで、
侮蔑しきったそぶりで、
ただひとり、
反対をむいてすましてるやつ。
おいら。
おっとせいのきらひなおっとせい。
だが、やっぱりおっとせいはおっとせいで
ただ
「むこうむきになってる
おっとせい。」



 (詩集『鮫』より)





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