2020年8月16日日曜日

イヨマンテの夜とベアーさん

  

Ⅰ イヨマンテの夜

 

イヨマンテの夜

という

歌謡曲を

しきりにテレビでやっていた時代があった

 

アイヌの儀式に取材した曲だそうで

作詞が菊田一夫

作曲が古関裕而という

当時としては錚々たる顔合わせによるものだったのに

実際はアイヌの儀式をかなり歪曲してもいて

問題もあったらしい

 

子供だったので

そんなことは知らないし

気にもしなかったが

夜の歌謡曲の時間やのど自慢大会の時間に

イヨマンテの夜!

などと

野趣に富む

日本語感覚としてもヘンテコな言葉が

平気で出てくると

子供心にも

クスクスとなってしまった

しかも伊藤久男という歌手が歌うと

郎朗と見事な歌唱ながら

アイヌといえば熊!

などという単純なイメージ付けが幼児教育でなされていた時代ゆえ

なんだか

熊が背広を着て舞台に出てきて照明を浴びて

大声で歌い出したように見えて

よけいに

クスクスとなってしまった

 

イヨマンテ

という

ヘンな言葉に惹かれて

子供用の事典で調べてみたら

なんのことはない

熊殺しの祭り

と知って

嫌な気がした

縄で柱に結びつけた熊にアイヌ人が矢を射ている絵が出ていて

見直し見直しするうち

さらに嫌な気がした

熊として地上に下りてきた神をもてなす儀式だとあって

なんだかヘンな理屈だと思い

さらにさらに嫌な気がした

だったら戦争の虐殺とか空襲とか原爆とか

そこらで起こる殺人だって

みんな神をもてなす儀式と言ってしまえるじゃないか

そう子供ながらに思い

さらにさらにさらに嫌な気がした

ヒトラーというちょび髭の人は神をもてなす祭司だったのかと思い

さらにさらにさらにさらに嫌な気がした

 

そんな理解で

よかったのだろうかと思い直し

ウィキペディアをいま見てみたら

 

「冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行う。

「冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、

「母熊は殺すが(その際前述のカムイ・ホプニレを行う)、

「小熊は集落に連れ帰って育てる。

「最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、

「赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。

「大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移すが、

「やはり上等の食事を与える。

1年か2年ほど育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行い、

「丸太の間で首を挟んでヒグマを屠殺し、

「解体してその肉を人々にふるまう。

「式場には祭場を使う。

「祭壇はエムシ(宝刀)、弓矢、鎧、シントコなどで飾り、

「クルミや団子、近代ではミカンを備え、

「熊に酒を注ぎ与える。

「花矢で熊を射て「遊ばせ」、

「最終的に丸太で熊の首を挟むことでクマの肉体と魂を分離する。

「その折に一人のアイヌが天に向かって一矢を放ち、

「全員が一斉に叫ぶ

「宗教的には、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを

「一定期間大切にもてなした後、

見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈している。

「ヒグマを屠殺して得られた肉や毛皮は、

「もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、

「皆でありがたく頂くというわけである。

「地上で大切にされた熊のカムイは、

「天界に帰った後も再度肉と毛皮を土産に携え、人間界を訪れる。

「さらに人間界の素晴らしさを伝え聞いたほかの神々も、

「肉や毛皮とともに人間界を訪れる。

「こうして村は豊猟に恵まれるのである。

「熊の再訪を願うために、人間からの土産として

「イナウやトノト(濁酒)、シト(団子)を大量に捧げる。

「イオマンテの宴で語るユーカラは、

「佳境に入ったところでわざと中断する。

「神が続きを聞きたがり、再訪することを狙うのである。

 

などと書いてあって

あゝ、これって

幼児虐待の典型的なケースのひとつに似ている

やはり

思ってしまう

インカやアステカで人間を生け贄にし

生きたまま胸から心臓をえぐり出す儀式などにも

非常に似た精神が通っていると思える

 

小熊時代から大事に育てられて

ある日

急に殺されるはめになる熊の心持ちやいかに

どうしても思わされ

もう子供でもないのに

今さらながら

さらにさらにさらにさらにさらに嫌な気がしてくる

 

誤解されないように書いておくが

これはアイヌ文化批判ではない

殺す熊の魂への敬意のようなものもなしに

平気で食肉処理場で多量にルーティンワークで殺し続ける現代人が

そんな批判などできたものではない

しかし

殺される豚牛鶏羊山羊熊などの側からすれば

カムイと見なされようが単なる食肉と見なされようが

まったく同じことだろう

カムイへの敬意をちゃんと込めて今度は落しますから

いかがです?

もう一発

などと

京都あたりに原爆を落されてみれば少しはわかるかもしれない

ちゃんと

こちらをカムイと見なしてくれたので

大丈夫です

とは

あまり

ならないんじゃなかろうか

 

 

Ⅱ ベアーさん

 

子供の頃

はじめて与えられたぬいぐるみは子熊で

腕や脚が動かせ

目は茶色の中に黒

耳は小さめで

口は利発な感じに少し尖っていた

多くの子供がそうであるように

どこへ行くにも抱え

どこへ行くにも携えて

いつもいっしょに動きまわっていた

母がベアーさんと呼んだので

ぼくもベアーさんと呼んでいたが

だんだんベアーさんの毛が禿げてきてしまったのを

母は

汚くなったとか

古くなったとか

言うようになったが

ベアーさんはどう変化してもベアーさんなので

毛が禿げても汚くなっても古くなっても

ぼくにはどうでもよく

ベアーさんはベアーさんで

いつもいっしょにいるべきベアーさんだった

 

ある日

もうベアーさんは捨てなきゃだめよ

と母にこんこんと諭され

大きくなったのだから汚くなったベアーさんはもうダメよ

と決め文句まで言われて

情けないことに頷いてしまい

ベアーさんは無へと旅立ってしまった

その時は

大きくなるのだから

大きくなったのだから

という魔法の言葉に誑かされてしまったものの

ベアーさんはのちのち

いつまでもぼくの内側にこびりつき続けた

 

そうして

青少年になった頃には

もう母の考えには従わずに

考えるようになった

 

ぼくだったらじぶんの子供に

汚くなっても

古くなっても

ベアーさんはおまえが赤ちゃんの時からのベアーさんなんだから

自然に分解してしまうまでそばに置いておいたらいい

腕が取れ脚が取れ目が取れ頭が落ち

糸くずになってしまうまで置いておいたらいい

そういうものが

ひとつぐらい

ずっとかたわらにあるのが人生なんだよ

そういう人生におまえはおまえの人生をしていきなさい

とでも

言ってやるだろう

思うようになった

 

 

Ⅲ わが魂に抗ったものにふさわしい虚無への旅を

 

ぼくの母は悪人ではなかっただろうが

汚くなっても

古くなっても

ベアーさんはおまえが赤ちゃんの時からのベアーさんなんだから

自然に分解してしまうまでそばに置いておいたらいい

ぼくについに言えなかった邪霊

老いたが

まだ

生きている

カムイとは見なさず

カムイなきイヨマンテの儀式をかならず設けよう

わが魂に抗ったものにふさわしい

無への旅を

彼の地ではベアーさんが待っているかもしれない

待っていないかもしれない

望むらくは

ベアーさんがこの邪霊に

毛が禿げてしまった母はダメよ

古くなった母はダメよ

汚くなった母はダメよ

息子に捨てられてしまった母はダメよ

こんこんと

諭し続けてくれるように





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