1990年、同人誌「NOUVEAU FRISSON」創刊。
必要があって見直してみると、
30年経ったのに、
これほどの成長のなさ、変わりのなさが、爽やかなほどだ。
わたしはなにをしてきたのか?
なんにも。
まったく、なんにも。
そして、成長も、まったくしなかった。
この創刊号を手渡したのは、せいぜい20人ほどだったか……
序文を読んでくれたのは、同人の川島克之や須藤恭博、その他、
飯島耕一の詩を引用し、文の動力としている。
「きみが夢となり
現実となるほかはない
見えるものと見えないものに力づけられ
夜のなかで多く笑い
きみが風景となるよりない」
飯島耕一のみごとな詩句に、ひさしぶりに逢う。
上田秋成に言及している30年前のじぶんにも、驚く。
そう、上田秋成は『雨月物語』完成後、
その後ながく続くことになった雑誌の序文を、はじめて、
もし読む人がいれば、30年を経ての、5人目か6人目の読者。
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ようやく砂漠が……
ヌーヴォー・フリッソン創刊号のために
吉岡実の死を伝える記事に、ぼくは、「ああ、また…」
ああ、また……
しかし、「ああ、また……」なんなのかといえば、
日を置かず、飯島耕一が哀悼文を朝日新聞の夕刊に寄せたが、
生きることは
ゴヤのファースト・ネームを
知りたいと思うことだ。
ゴヤのロス・カプリチョスや
「聾の家」を
見たいと思うことだ。
見ることを拒否する病から
一歩一歩癒えて行く、
この感覚だ。
「ゴヤのファースト・ネームは」
ぼくは追い詰められている。幾千万のぼくが。まだ可能性はあるか
きみがノアとなるより
ほかない
きみが夢となり
現実となるほかはない
見えるものと見えないものに力づけられ
夜のなかで多く笑い
きみが風景となるよりない
きみは誰なのか
日に一度そのことを考えよ
きみに何が見えるか
日に一度考えよ
そしてきみの内部で
海が今日どれほど膨らんだか
を計測せよ。
(「見えるもの」)
これほど正確な神託を受けたことはない。これほど、ぼくが、
まだ、生きられるかもしれない。太陽が、空が、海が、荒野が、
きみの部屋に
ようやく砂漠がひろがり出している
きみは急いで帰るがいい
きみの夢の箱は
すでに砂漠だ。
そこに立ち戻ってくる
旅人の姿を見張るのがきみのつとめだ
地下道の群衆は
しみのように
消えて行った。
きみは眠りのなかに
毎夜
もう一つの思考を求めて
入りこんで行く……
ヴァレリイは石炭の山
磁石の山
コルシカの夢を
見たことがある。
(「思考の過ちを求めて」)
出発だ、ふたたび。アルコール片手に、ペンをとり直すマルカム・
出発だ、ふたたび。出発。出発。出発。出発。
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【初出】同人誌「NOUVEAU FRISSON(ヌーヴォー・フリッソン)」 numéro 1 [1990年6月19日](編集発行人:駿河昌樹 編集委員:駿河昌樹/川島克之/須藤恭博)
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