2020年9月9日水曜日

敬体には呪術的なちからがあるので

 

 

私が直観について学んだことのひとつは、

それが感覚であれ、イメージであれ、

やって来た情報をけっして検閲してはならないということです。

アンドレ・オー

 

 


日本語の敬体には呪術的なちからがあるので

たくみに使用すれば

世の中を

揺り動かすことさえできるでしょう

きっと

 

いま

「きっと」という語を

添付してみましたが

こんな

それとない細工が

呪術では

重要なちからの演出を

行うことになります

 

逆にいえば

敬体で語られることには

くれぐれも

注意をすることです

です

ます

という音に

思いもしなかったほど強力な催眠術が

ふかく

ふかく

仕掛けられています

 

これから

ことばがいっそう呪術の具として

使われる時代になります

白魔術の具としても

使われますが

そちらの使い手は

むしろ

ぶっきらぼうな常体を使うかも

しれません

 

いや

常体さえ使わず

単語を投げ出すような

羅列するような

あるいは

ほとんどことばを使わないような

そんな

振舞いこそが

白魔術の使い手の

見分けかたと

なるかも

しれません





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