2020年9月19日土曜日

マスラールの地下書庫

 

 

マスラールのことを思い出した

 

本を移動させたり

本を積み直したり

奥にあった本を出してきて埃を払い

あちこちのページに見入り

ようするに

本に囲まれ

本の整理を続けていると

マスラールのことを思い出す

 

よく知っていたわけではない人なので

マスラールさん

と呼ぶべきだろうが

若かった私を彼の家に導いた人は

マスラール

と呼んでいた

 

細かいことを語ると長くなるので

省略する

(スタンダールお得意の手法…

(小説をむやみに長くする書き込み過ぎを

(スタンダールは嫌った

(どの時代にあっても人がスタンダリアンでなければならない

(これが理由

 

パリ近郊のコミューンの共産党員の支部長だった

マスラールは

自宅の地下に広い図書室を持っていた

いくつかの部屋が入るような広さで

ところどころを柱が支えている

書架が壁をめぐって据え付けられているばかりでなく

あちこちに書架の柱が作られていて

見渡そうにも見渡せないほどの本本本本本…だった

 

私をそこへ導いた老婦人の夫は

すでに物故していたが

フランス語版プーシキン全集を編んだロシア文学者で

作家、詩人、劇作家でもあった

フランスの二十世紀の文学者たちにも知り合いが多かった

 

そうした文学者たちや学者たちと比べても

ジョルジュ(・マスラール)の蔵書の量は飛び抜けていた

(と老婦人は私に語った)

ほんとにバカみたいにたくさん本を持っていて

(とマスラール夫人ポールは私に語った)

 

共産党員なのに

共産主義の本などよりも

ブルジョワ向けの本のほうが多いんだよ

(とマスラールは私に語った)

本というのは共産主義とはなんの関係もないもんだ

(ともマスラールは私に語った)

 

ランボーやマラルメの詩集の初版本もあった

(マラルメはともかく

(ランボーのこれは本当に初版本かな?

(と疑いながら

(私はじかに手に取って

(おそるおそるページを繰った

 

低めの書架の上には置物もたくさんあった

青竜刀が数振りあった

これなんかは人の首を切ったものだと聞いたよ

(とマスラールは私に言った)

インディアンの首を煮て干したものも

三つほどあった

 

もちろん

一階のサロンにも

二階の書斎にも

本はいっぱい書架に詰まっている

 

本を移動させたり

本を積み直したり

奥にあった本を出してきて埃を払い

あちこちのページに見入り

ようするに

本に囲まれ

本の整理を続けていると

マスラールのことを思い出す

 

所蔵する本が

どんなに多くなってしまったといっても

マスラールほどではない

いつも思う

 

小さな本棚ひとつ分しか

本は持たなかった

という

太宰治のことも思い出される

 

城から城へ

点々と移り住んだ

ルイ=フェルディナン・セリーヌが

荷物を極限まで減らす必要から

さまざまな本の

気に入ったページだけを切り取って

一冊に造本していたことも

思い出される




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