人は生きているといろんな罠に落ちて苦しむ。“書くこと”
ベント・ハーメル『酔いどれ詩人になる前に』(2005)
風呂に浸かりながら小さな雑誌を見ていて
ミヨシ・コーポレーションの
ゴーラン・三好・玲子の話を読んでいくうち
彼女の人生を艶やかにした店のひとつに
ゴールデン街のクミズ・バーが出てきたが
玲子にいろいろな作法を教えたそこのママのクミさんは
詩人で作家だった辻井喬こと西武百貨店社長堤清二の
妹の堤邦子の下について働いていた女性だということだった
堤邦子はフランスに移住したエッセイストで
パリ社交界の花といわれた“マダム・ツツミ”である
カジノ船《ソシエテ・リディア》を経営したが倒産し
西洋環境開発が損失を補填したという
とウィキペディアにはある
1997年に死去している
風呂の湯をちゃぽちゃぽさせながら
そういえば
辻井喬という名で小説や詩を書いている西武の社長さんがいたな
と思い出したものの
この人の生きている頃でさえ
私のかなり深い文芸好きの友人知人たちのうちで
辻井喬のものを読んだという人が誰もおらず
私にはいつまでも謎の詩人であり謎の作家だった
小説の新刊が出た時に何度かページをめくってみたことはあったが
まったく面白くないばかりか
読む価値のある実験がなされているとも見えず
文章を目で追いながらも
作家という以上
バルザックやスタンダールやフロベールや
プルーストやジョイスやフォークナーや
カフカやカミュやマルケスなどを凌駕していなければいけないはず
この人のどこが作家なのか
謎のままの作家だった
西武の社長さんであるから本にして貰えたのか
そう見なしてしまえば失礼かもしれないが
そう見えて仕方がなかった
とはいえいろいろな賞を貰ってもいるのだから
それほどひどい内容でもなかったはずだが
どうしても数ページ以上読み進む気になれなかったのは
文学読みとしての致命的な欠陥が
やはり私のほうにあったというべきだろうか
詩集もずいぶんいっぱい出しているらしいのだが
こと詩集に関しては
この人のものを目にしたことさえないし
ページを繰ったことはない
なにをどう書いてもいいのが詩だし
詩の場合は見開き2ページが一瞬でほぼ読み取れるから
実際に手に取れば
読むのに時間のかかる小説よりも
なんらかの反応を意識内に醸成しやすかったはずだが
とにかくも
この人の詩集に出会うことはできなかった
ともあれ辻井喬も
この40年ほどのあいだの村上春樹騒ぎによって
あわれあわれ
なにを書こうとも
あらかじめ
完全に忘れ去られることになってしまった作家のひとりである
いまでも
とりわけ流行らない汚い古本屋で
100円から500円ほどで
ハードカバーの棚に並んでいるのが散見されることもあるかもしれ
文庫になっているものが
まだ数冊は新刊で見つかるかもしれない
しかし
詩歌の本をうっかり買ってしまうような人たちの話題には上らない
ましてや小説好きの人たちの意識には上らない
辻井喬
ああ、いたね、そういう人
それ以上の会話に
もう
絶対にならない残念な詩人であり作家に成り下がってしまっていて
諸行無常
あわれあわれ
わざわざこの人の本を入手して読もうという奇特な人は
もう
21世紀のこの地球には絶えてしまっているように感じられるが
私の間違いだろうか
これも
これほどまでに忘れさられるのならば
彼が小説や詩を書くのに費やした時間と労力を
経営事業にすべて注入すれば
孫正義以上の大経営者になれたかもしれなかったのにと
もう古くボロボロになっている池袋の西武の建物の実質を想像しな
思われてならなかったりするのも
あれはいつのことだったか
寺山修司の演劇のひさしぶりの復活上演の際
幕間の休憩時間に
辻井喬や辻邦生や加藤周一たちが集まってしゃべっていたのを見た
ああ、すっかり偉くなった
私などとは文化階級の違うお仲間が群れ集って
元老院議員のように功成り名を遂げた文化人としての老年を謳歌し
と傍目に見て通り過ぎたが
読んでもあまり心に刻印を残してくれない雄弁流麗な辻邦生も
一部の大学のセンセが自分の出世栄達のために復活させようとして
褒め直しにかかっているのを除けば
もうすっかり忘却のかなたの作家となり
三島由起夫の『豊饒の海』を口を極めて罵倒した加藤周一の
方法論の一切通用しない現実の人間社会のどうしようもなさを
どうしても思考と行動の出発点に据えられなかった
あのどこまで行っても理想主義のノーテンキ啓蒙主義をベースにし
一見渋く苦みのあるかのような朝日新聞系知識人の代表者のような
もう全く顧みられなくなった今となっては
あの幕間の彼らの姿そのものが一場の夢のように思い出され
ああ、彼らの誰も彼も
ついに漱石にも鴎外にも志賀直哉にも小林秀雄にもなれず
谷崎潤一郎にも三島由起夫にももう埋めようもない差をつけられて
歳若い村上春樹にも完全に敗北して
世界各国の国際空港の書店のどこにも英訳本が置かれていないとい
煉獄というか
むしろ文芸的地獄というか
そこに永遠に落とし込められて
歴史から消え去っていこうとしている
もちろん
プルーストが『失われた時を求めて』で書いたように
「彼は死んだ。しかし、永遠に死んでしまったのだろうか?」と
厖大な情報が怒濤のごとく生み出され続ける時代に入っての
あまりにはかない可能性とはいえ
ここで彼らの復活のそれの維持のために
つけ加えておくのは
やぶさかではないものの
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