映画を見たり
小説を読んだりするのも
じつは
さびしい
新聞でならせいぜい三面記事になるか
そのようにさえ
取りあげられないか
そんな出来事を
ご大層に
大げさに演出して
フィクションでござい!
創作でござい!
表現というものでござい!
と
これ見よがしに見せつけられて
こんなものが
文化なのか
と
よく思ってしまう
もうしわけないけれど
わたし
表現しないことをなにより尊ぶひと
表現されてもされなくても
あったことはあったこと
生成したものは生成したもの
なんであれ
起こるがまま
生成変化していくままであれば
もっと
わたしの栄養になると感じる
そのようなわたしとは
だれ?
人間がこしらえたものより
吹きすぎていく風や
ひかりの刻刻のうつろいのほうを
うれしく感じ
しっとりじんわり楽しみ
五感をひらいて
いつもボーッとしている
そのようなわたしとは
だれ?
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