さらに地図を失って
四方八方
までは見まわさないものの
三方五方ぐらいは
視野におさめてみながら
世界(などと一纏めにできると思い込みやすい…)
という
膚のすぐ表面からはじまる空間が
いよいよ
わからない
わからない
と
認めてしまう
いよいよ
いよいよ
はじめてのホテルで
天気予報だけを知ろうとして
つけてみると
テレビはダイジェスト版の歌番組のようなものを流していて
わたし
あなた
大切
恋しい
この愛を
いまはただ
永遠
などの単語が
しっとり
散りばめられて
時が流れる
季節(とき)が流れる
城砦(おしろ)が見える
無疵なこころが何處にある
ランボーの詩が
小林秀雄の
定訳になる前の
1930年白水社版の訳で
ポップスの単語たちの
むこうに
遠い白壁のように
見えている
はじめの二行は
中原中也がかっぱらって
漢字だけ直して
じぶんのものにしてしまった
いよいよ
わからないよ
世界よ
と
メモしたかったのだが
さらに地図を失って
と
書き出して
しまって
見えている遠い白壁は
いくつもある
やがて
わたしたちは
つめたい闇のなかに沈んでいくのだろう
さようなら、
あまりに短かすぎた
わたしたちの
夏の
激しいひかりよ!
と
これは
ボードレール
永遠よ、虚無よ、過去よ、暗い深淵よ、
飲み込んだ日々をどうしてくれようという、おまえたちなのか?
言ってくれ! あれら至上の恍惚を返してくれるのだと。
おまえたちがわたしたちから奪ったあれらを。
おお! みずうみよ! 押し黙った岩々よ! 洞窟よ! 暗い森よ!
おまえたちのことだけは、時も寛大に扱い、
若返らせさえもするのだから、おお、美しい自然よ、
この夜の、せめては思い出だけでも、守っていっておくれ!
と
これは
ラマルティーヌ
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