2021年4月21日水曜日

愛知県森林公園

 

 

 

思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか

『敦盛』

 

  

 

名古屋の守山区に住んでいた頃

たぶん四歳か五歳だったが

車で行けば遠くない愛知県森林公園にときどき行き

春にはあたり一面クローバーの広がる野原に寝転び

小川では黒いオタマジャクシを追った

クローバーの上に寝かせた赤ん坊の弟を

父は真上から写真に撮って

それがずいぶん決まった斬新な写真に仕上がったので

プロでもないのにカッコいい

とぼくは思った

グリーンのクローバーの上で眠る乳児

という感じに写っていて

被写体がじぶんでないことにちょっと嫉妬した

 

けれども

さっき気づいたのだ

守山区に住んでいた頃

弟はまだ生まれていなかった

守山区からは遠い岩倉に引っ越してから生まれたのだ

だからあの写真を

森林公園で撮ったわけがない

田園地帯の岩倉にも

クローバーの生え広がるところは多かったので

家から遠くないどこかで

乳児だった弟をクローバーの上に寝かせて撮ったのだろう

そうに違いない

 

けれども

さっき驚いたのだ

母が弟をクローバーの上に寝かせ

それを父が写真に撮った時のことをぼくはよく覚えていて

しかもその前後にぼくは

たしかに森林公園の小川でオタマジャクシを取って遊び

たしかに手で触れる水がずいぶん冷たかったり

たしかに首筋に吹いてくる風がすこし寒かったりしていたのを

たしかにあまりにはっきり覚え続けているものだから

 

そうして

今になって思い直しているのだ

弟がいるわけがありえない森林公園の春に

ひょっとしたら

ぼくだけなぜかひとり居続けて

弟の加わることになった若い家族というものの幻をぼんやりと見続けて

家族ならクローバーの上に乳児を寝かせる母親がいたり

それを写真に撮る父親がいたりもするものだろうなどと妄想して

そんな妄想のなかにずっと閉じ籠もり続けて

長い長い時間を経てきてしまったのではないだろうかと

 

弟の加わった家族についに参加せず

あの家族から離れて

森林公園の小川かクローバーの野でぼくは急死でもしてしまってい

魂は森林公園に残ったまま

ぼくの参加しなかった弟のいる家族が

岩倉とかいうぼくの知らないところへと引っ越していったのを

夢幻のなかでながながと見続けでもしていたのではないかと






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