2021年5月8日土曜日

ノアが箱船を作ったのはたしか600歳だったようだし

 

 

単純で澄んでいて若かった頃に

帰りたい

なんて

それほど思わない

 

いまもあまり変わらないから

 

複雑になったとか

汚濁の中でずいぶん濁ったとか汚れたとかスレたとか

思いたいかもしれない部分が心のダサイどこかにあるかもしれない

結局たいしたことない

 

クレジットカードも持たなかった頃や

革靴を買うならこういうのじゃなきゃみたいな蘊蓄を持たなかった頃より

たしかに地球といっしょに太陽のまわりを何度も廻ってきたとはい

近くの公園のあそこにある木ほど老いてもいない

老子にはまだまだ遠いし

モアブの谷に葬られたモーゼほどではない

ノアが箱船を作ったのはたしか600歳だったようだし

寒山拾得なんかは幾つだったんだろう?

彼らほどの歳にも

いったのかどうかわからない

 

ようするに

単純で澄んでいて若かった頃に

まだいるということになるにちがいない

ノアの年齢ぐらいに達してから

まれに暇ができたりして

歳月の後ろをふり返ったりする頃から見れば

 

そう

その時には「過去」を保持できるのかもしれない

ボルヘスが言ったことを思い出せば

「過去とはおそらく人間が過去について考える瞬間にすぎない」

という

彼のあの言葉を





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