必要があって住むようになった今の住居は
たまたま高層階にあるので
外に行くにはなにをするにも
エレベーターでの乗降が欠かせない
建物に住む際には一階びいきで
ずっと一階やせいぜい三階に住んできた私には
はじめこれがもどかしく面倒で
ホールで待つのがつらくて堪らなかった
他の住人といっしょに箱に乗るのも大嫌いで
人が待っていたりすると踵を返して
ウイルス騒ぎなどはじまる前から
進んでソーシャル・ディスタンスを取ってきた
それでも慣れるということはあるもので
エレベーターが最上階から下りてくる場合にさえ
到着するのを待つのは苦ではなくなった
他の住人たちと乗りあわせるのは今も嫌だが
それでも無愛想な顔をして耐えられるようになった
このあいだのある夜も遅くなってから
わずかな買い物に出て帰ってきて
たったひとりでエレベーターに乗ることがあった
さいわいなことに他の住人は現われず
あの金属製の非情な箱に乗って上昇していった
箱の中は汚くはないが薄汚れも目に入る壁に囲まれていて
長く乗っていたら人間性が剥がれ落ちていくような
人間にふさわしいとはいえない異様な空間である
エレベーターから降りる時のことだった
「○○な時間を生きる」といった表現がよくなされるが
あれは全く間違っていると強く気づいた
時間を生きるのでなどなく
時間は私によって生きられるようなものではなく
時間が私を生きているのだ
時間こそがたまたまこの私ともなって
私を生きるかのようなことをしてみているのだ
あまりに強くはっきりとそう気づいた
気づいてみればいろいろなことがはっきりと
わかってくるようなあまりに遅すぎた認識だったが
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