2021年8月14日土曜日

  

八月ではあるが

もう

すっかり秋の庭である

 

まだ暑さは訪れるだろうが

暑い日中でも

空気の底が

もう

寂しくなっている

 

庭のむこうの柵の近く

粗い木でこしらえたベンチがあって

座るのに

ちょっと注意を要するが

夕子が座っている

 

軒の近くには邑子がいて

サルスベリが

茄子の花のような紫の花をつけたのを

あの枝

この枝と

見続けている

 

わざと同じ音の名をつけた

ふたりの娘と

はやい秋の

この庭にいるのを

わたしは人生の最終幕のように感じる

 

コオロギが鳴いていて

近くの木には

セミの声もまだ響いている

 

幸福とは風景であろうか?

そんな脈絡のない問いが浮かんで

詩のようだと思う

問いは

 

後鳥羽上皇の歌を

これも脈絡なく

思い出す

 

世の中よいかゞ頼まん飛鳥川きのふの淵ぞ浅瀬白波

 

詩のようだと思う

脈絡のない

記憶のよみがえりは

 

思い出した歌には

もちろん

有名な本歌があって

 

世の中は何かつねなる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる

古今 雑下 読人不知

 

世の中をいかが頼まんうたかたのあはれはかなき水の泡かな

堀河百首 無常 大江匡房

 

これらだが

世の中よ

と歌い出した後鳥羽上皇の思いは

世の中なるものへの

定見も

もう

持てなくなった者の

呼びかけとも

詠嘆とも

聞こえ

もいいものだ

感じ

させられ

 

夕子が

こちらを見ている

 

しばらく

見ていておくれ

思う




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