ビ蛇――長すぎる
ジュール・ルナール
武満徹の作った小さな歌が
とてもよくって
いくつか
のんびりと聴きながら
いい時間を
過ごしていた
ポップスとも
フォークソングとも
ジャズとも言えそうな曲で
あまり知らない音楽を
偶然聴くにしては
めずらしいほど
いい気持ちで
ながく
聴いていた
歌詞に
谷川俊太郎の詞を用いたものが
いくつかある
曲のまとまりとしては
それで
べつに悪くなかったのだが
いつもながらに
谷川俊太郎の詞は
ザンネンだな
と感じ
その思いで
ちょっと曲への没入が
損なわれた
という
ところはある
谷川俊太郎という人の詩は
六行ぐらいで
やめておいてもらうと
とてもいい
長く書いていって
おわりのほうになると
悲惨になる
せっかく
はじめのほうで
いい感じのサビを聴かせてもらったのに
おわりのほうがねえ……
と
いつも思う
日本の戦後の詩人として
谷川俊太郎ほど
代表格に持ち上げられた人はいない
ある意味ほかの詩人たちは
谷川俊太郎の前では全滅し去ったのだ
1950年代から現代まで
日本の詩人を外国人に急いで教える際には
タニガワシュンタロウたったひとりになる
自分の人生など絶対に語らないという
詩人の最低条件が徹底されていて
彼の詩作は完璧によそ行き言葉で書かれている
そこから冷たさも現代っぽさも来るが
外国に輸出するにはそこが第一前提
特別な過去にも独自の出自にも触れず
新商品の広告コピーみたいな言葉で通す
『コカコーラ・レッスン』や
『定義』あたりまでは
ぼくも熟読し再三読み返した
『女に』も楽しかった
なにより
ぼくらには『鉄腕アトム』の名作詞の
作者としての彼が
忘れがたい
けれども
ぴったりと読まなくなったのは
ふり返りさえしなくなったのは
どこかで新作を見ると
あゝ ザンネンな詩……
としか思わなくなったのは
いつのことだろう
同じ頃には寺山修司の詩も
いかにつまらないか
鼻につくようになって
一時代
パッと人目を惹くようなものは
結局あとのほうはダメで
時代が経つとダメで
ランボーとかロートレアモンには
かなわないってわけか
ホイットマンのあの逞しい力業には
及ばないで終わっていく
戦後日本なのか
高度成長期後の極東語なのか
とばかり
思うようになった
谷川俊太郎が若い頃に書いた
「ベートーヴェン」 という詩は
ちびだった
金はなかった
かっこわるかった
つんぼになった
女にふられた
かっこわるかった
遺書を書いた
死ななかった
かっこわるかった
さんざんだった
ひどいもんだった
なんともかっこわるい運命だった
かっこよすぎるカラヤン
と書かれていて
きりっとしていて
ユーモアがあって
おふざけがあって
乱暴さもあって
ぎりぎり長すぎず
読まれなくなる直前で
すぱっと終える
冴えていた頃の谷川俊太郎ならではの
書きっぷりがみごと
いまから見ればはっきりしているし
当時でも彼自身は自覚していたのだろうが
「かっこよすぎるカラヤン」は
まさに
谷川俊太郎自身のことで
そういう自己批判のために
「ベートーヴェン」を置いておく操作も
とても面白い
長寿を保ちながら
一作一作
そのまま正確に原稿料になる商業詩を
ずっとずっとずっと
書き続けてきた人生は
稀も稀
みごとなものだと思うけれど
この「ベートーヴェン」の頃のような
谷川俊太郎ならではの面白さが
いつか
なくなってしまって
その後はなんだか
身過ぎ世過ぎ
続けていくためだけの言葉ならべに
なっちゃったなぁ
と
かつての熟読読者としては
思えてしまうように
なった
いつまで経っても
「かっこよすぎるカラヤン」で
いてほしかった
谷川俊太郎
だいたい
10行ちょっとぐらいの長さで
ビシッと
決め続けてほしかった
谷川俊太郎
あの『鉄腕アトム』の
惚れ惚れするような形式を
いきいき躍動させて
だれもが
思わず鼻歌してしまうような
日本語の粋だけを
かたちにし続けてほしかった
谷川俊太郎
空を越えて ラララ 星のかなた
ゆくぞ アトム ジェットの限り
こころやさし ラララ 科学の子
十万馬力だ 鉄腕アトム
耳をすませ ラララ 目をみはれ
そうだ アトム 油断をするな
こころ正し ラララ 科学の子
七つの威力さ 鉄腕アトム
街角に ラララ 海の底に
きょうも アトム 人間守って
こころはずむ ラララ 科学の子
みんなの友達 鉄腕アトム
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