ラスト・チャンスでは本気でやるしかない。
ウィリアム・S・バロウズ『ウエスタン・ランド』
また広島の原爆記念日がやってきました
黙祷せねばなりません
IOCのバッハとは違って
われらに馴染みの深いヨハン・セバスチャンのほうなら
『マタイ受難曲』や『ヨハネ受難曲』を演奏して
黙祷のかわりとしてくれると思います
ことしは
あわせて別の黙祷もさせていただきます
mRNAワクチン戦争での特攻死亡者916柱の御霊にも
黙祷させていただきます
これはあくまで厚生労働省発表(8月4日)の死亡者数であり
たくさんのSNS上の報告から
これをはるかに上まわる特攻死亡者数が想定されております
10倍は容易に上まわる死亡者が出ているだろうと推定する人もい
さらに数万人はすでに戦死していると推定する人もいます
副作用に苦しんでいる人の数も
男性4547人
女性15510人
そのうち重篤な副作用を起こしているのは
男性1065人
女性2265人
重篤者はほぼ瀕死の状態にあるか意識不明などの状態にあり
そうでない副作用の人でも
失明や重度のマヒ状態や寝たきりの状態にあったりします
これも
SNSにたくさん上がっている書き込みから想像するに
厚労省には報告されないものも多く
実際の数はこれらをはるかに上まわるようです
mRNAワクチンを賛美し
推奨し
はては強制しようとするあまりの多くの医師たち
というより
ごくわずかな医師たちを除けばほぼ全員の日本の医師たち
その他のほぼすべての医療関係者たち
行政の全役人たち
さまざまな会社や教育機関の責任者たちは
これらワクチン戦死の御霊を存在していないがごとくに扱っており
さらにワクチン戦死や副作用が増加していくのを永遠に無視し続け
むしろそれを望み喜び賞讃し続けているのが現状で
見るところワクチン・
ハイル、ワクチン!のかけ声や号令のもと
家畜たちと同様にあらゆる人間にmRNAワクチンを打とうとして
すでに無効性と重大な危険性がわかっているこのワクチンを
かつてのオウム真理教の信徒たちの狂信によるもののように
全世界に打ち尽くそうとしているようです
このワクチンを作った博士たちによれば
これを接種した人間は
はやければ数ヶ月以内に重大な免疫不全に陥ったり
重篤な全身の血栓や血管内損傷に見舞われたりして
おそらく二年以内にほとんどが死亡するか廃人状態となるというこ
ワクチンの企画・設計・製造者たちが言う
そうした近未来がもし本当ならば
現段階で必要なことは
すでに死の約束されたワクチン接種者たちに頼らない
彼ら抜きの未来づくりのできるような
非接種者たちの健康を維持し続けることでしょう
ともあれ
すでにワクチン戦死した御霊のために今日は黙祷を捧げます
まだ死んでいない
しかし二年か数年で死すべきすべてのワクチン接種者たちのために
祈りを捧げておこうではありませんか
ワクチンのプロトコルには危険性が詳細に記されており
国も副作用については一切の負担費用は払わないと明言していて
ワクチン接種は完全に接種を受ける個人の意志によるものであり
ワクチン接種後に起こるあらゆる副作用や死は個人の責任とされて
プロトコルをもちろん熟読しすべてを承知の上で
しかもワクチンに含まれる恐るべき多数の薬剤や添加物を知った上
あえて進んで喜んで接種を受けているのですから
ワクチン接種者たちの死もまたワクチン学の神に捧げられたもので
太平洋戦争時の特攻隊の死者数は陸軍が1355人、海軍が254
あわせて3903人に上りさらにそれ以上死んだという話もありま
今回のmRNAワクチン特攻志願者の死者数も
おそらく公式でも今年中にこれを上まわることになるでしょうし
非公式の実数ではすでに超えていることでしょう
いま進行しつつあるのは国際巨大資本群が手を携えて構想し
国際製薬会社の数々を使って全人類を家畜として管理する企画であ
唯々諾々と従っていればこれから数限りなく打たれるワクチンのせ
製薬会社が提供する薬剤を常時定期的に服用しなければ
通常の健康状態が保てなくなるような人類の生産です
これをベースにした新世界秩序という帝国がまさに出現しつつあっ
今回世界中で観察されているワクチンナチス党員たちの台頭は
今後起こっていくさまざまファシズムの初期段階に過ぎません
ヤクザやマフィアが知性の弱い人々を薬漬けにして儲ける手法や
精神科医が同様に軽度の鬱状態などの人々を薬漬けにしていく方法
マイクロソフトやGoogleが客の自由を巧みに奪っていき
一度サービスを使ったらいつまでも頼らざるを得なくなるように
システムをどんどんと変えて出費を増やすようにしていく方法など
それらだけでも思い出してみれば現在起こりつつあることの
小さな見取り図程度は誰でも取得できるはずです
昨年もそうでしたが
今年の原爆記念日は意味ぶかい日となってしまいました
わたしたちが行う黙祷は結局はわたしたち自身への黙祷であり
もう二度と人間なるものに自由が戻ることはないと
深く認識し諦観した上での黙祷にどうしてもなってしまうものです
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