こうして
なにか
書こうとする
書いてみる
書く
すると
書くことを肯定した主体だけが
ここには現われる
だから
書くことは根底からダメなことだ
ということになるのだが
わかるかな?
書くことを完全否定する意識が
「私」のほとんどの部分を浸している
それは
書くときには
すっかり現象界から退くので
ことばの場では
不在としてのみ感知される
書くことと
ほんのちょっと
まじめに向きあおうとすれば
たちまち
密教的思考が要求される域に入る
この域を隠蔽し続けるには
たとえば風景
たとえば感情
たとえば
どうでもいい思念や
恣意的に選んだテーマを
まるでそれなりに意味があるかのように装って
数行
書いてしまえばいい
表現はどこまでも隠蔽でしかない
ことばや表象を見せつけることで隠す
ことばや表象は蓋である
より真相といえそうなものは
どこまで言っても顕在界には現われ出てこない
そうと知って
書くとは
どこまで意地の悪い
顕在界への
擽りか
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