20世紀最大の覚者のひとりG.I.グルジェフを
世の中に大きく紹介する著作を執筆したP.D.ウスペンスキーは
第一次世界大戦がはじまった時
コロンボにいた
エジプト、セイロン、インドへの長い旅を終え
イギリス経由でロシアへ帰り
〈奇蹟を捜しに〉行くと言い置いて
ふたたびペテルスブルグを離れた後だった
この〈奇蹟〉なるものを定義するのは非常に難しいことだ。
しかし、私にとっては、
ずっと以前に私は次のような結論に達していたのである
――我々が今いる矛盾の迷路からは、
既知の、あるいは使用済みのいかなる道とも違った、
全く新しい道によるのでなければ逃れでることはできない、と。
しかし、その新しい、あるいは忘れ去られた道が
どこから始まるのかがわからなかったのだ。*
私はすでに、この偽りの現実の薄い被膜の向こうに、
何らかの理由で我々がそこから切り離されているもう一つの現実が
存在していることは疑いようのない事実だと考えていた。
〈奇蹟〉 とは、 この未知の現実を看破することであった。
そして、私には、その未知なるものへの道は
東洋において見出せると思われたのである。
なぜ東洋に?
これに答えるのは難しかった。
おそらくこの考えには何か物語めいたところがあったのだろうが、
しかしいずれにせよ、
ヨーロッパでは何も見つけることはできない
という絶対的な確信があったのである。
帰路、数週間をロンドンで過ごしている間に、
私がこの探索行の成果について考えていたことは
すべて混乱に陥ってしまった。
それというのも戦争の恐ろしいほどのばかばかしさと、
ロンドンの空気やそこで交される会話、
新聞などに満ち満ちていた感情とに、
意に反して影響されたためであった。
しかし、ロシアに帰り、旅に抱いていった考えを再考したとき、
自分の探索こそが、明白な不条理〉の世界で起こっている、
あるいは起こりうるいかなることよりも
ずっと重要であると感じたのである。
そこで私は、
戦争は、その中で我々が生き、働き、
しかもさまざまな問題や疑問への答えを捜さなければならない生の
今では普遍的となっている破滅的状況の一つとみなすべきだと
自分に言いきかせた。
戦争、ヨーロッパの巨大な戦争、
私はそんなものが起こりうるとは信じたくなかったし、
また現にそれが起こったということさえ
長い間認めようとしなかったのだが
――が現実になったのだ。
我々はその真只中にいるのであり、
そして私はこの戦争を、
どこにも通じていない〈生〉を信じることはもはや不可能であり、
我々は急がなくてはならないことを明示する
巨大な死を想い起こさせるもの〈momento mori〉として
受けとらなくてはならないと思った。
戦争は、ロシアにとって、またおそらくはヨーロッパ全体にとって
必至であると思われた最終的崩壊がくるまでは、
ともかくも私個人には関わってこなかった。
そしてその崩壊はいまださし迫ってはいなかった。
もっとも、迫りつつある崩壊はほんの一時的なものに思え、
まだ誰一人、これから先その中で生きていかなければならない
内・外両面の分裂と瓦解に気づいている者はいなかった。
108年前のウスペンスキーのこの思いを
いま思い出してメモしておくことは
だれかの役に立たないでもないかもしれない
ほんの小さな石や
ごく軽い投球が
認識の全容を一変させることもある
そういうものとしての
メモ
*P.D.ウスペンスキー『奇跡を求めて グルジェフの神秘宇宙論』(浅井雅志訳、平河出版社、1981)
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