初井しづ枝の全歌集を持っているのは
わたくしの誇りとするところである
限定1000部のうちの
第669番の本を持っている*
浮薄な騒ぎかたをせず
静かで
優雅で
正確で
気品ある現代日本語の用い方として
最上の部類のひとつに入る
本を持っていることを
誇りに思う
などというのは
だれにとってもめずらしいことだろう
わたくしにとっても
これは滅多にはない
病を得て亡くなるまぎわの歌に
こういうのがある
テレビなど見てゐて寂し短日に迫る命を思ひしのちに
親しい人の
死もそう遠くない頃の姿が
いくつも思い出される
テレビではなくても
もう死もそこまで来ているというのに
これといったことをせず
名著のたぐいを読むでもなく
ことばを選んで思いを記そうというのでもなく
なにか大事なことを考え直そうというのでもなく
集中するのでもなく
やすらかに落ち着いているのでもなく
部屋のなかをぼんやり見まわしたり
顔をしかめてみたり
窓外の風景を見ては
また視線をはずしてみたり
のこり少ない時間というのに
無駄に
無為に
ただ流れゆくにまかしている
じぶんの場合なら
あえて聖書でも読み直そうとするのだろうか
それとも
マルクス・アウレリウスだろうか
万葉集や古事記だろうか
謡曲集だろうか
仏典のあれこれだろうか
などと
思ってみると
やはり
そういう選択はしないかもしれないと思う
新聞や週刊誌や
スマホのニュース配信や
SNSを雑に見ながら
最期の時へと
向かっていくのかもしれない
もっとも
初井しづ枝の場合は
テレビなど見ていても
よかったのだろう
こう作歌していたのを思い出せば
わかる
しらしらと夕雲厚し花の色の充ちたる下に遊び絶えたり
*『初井しづ枝全歌集』(立風書房、昭和五十一年)
0 件のコメント:
コメントを投稿