アンリ・ゲラールの写真を見ていたら
Une courette de la rue des Amandiers, Paris
というのがあった
正面に古い二階建てのアパートがあり
右側にも古い二階建てのアパートがあって
石畳の小さな広場のようになったところに
四人のひとが写っている
中央では陽をあびて
高齢らしい婦人が椅子に座っていて
すぐ脇には
中年以上と見える婦人が
やはり椅子に座って編み物をしている
奥では
アパートの陰になったところに婦人が座っており
そのわきには男性らしいひとが
窓の石の額縁の外に張り出た部分に座っている
couretteという単語を忘れていたので
調べたら
petite cour intérieure
とDictionnaire Larousse Pocheにあって
小さな中庭だとわかる
豪華とはいえないアパートの中庭の
天気のいい日に住人が集まっての
ちょっとした歓談の時だが
古い日本語なら端居とでもいえそうな
くつろいでいる感じなのがいい
つつましい生活をしている者どうしで
おたがいの人生をある程度は見つめあって
わかりあってきたらしいのが
よく出ている
勤めや用事から戻ってきた住人は
まずここの中庭にたむろするひとたちに迎えられ
今日はこんなことがあっただの
あれには困っただの
面白いことがあっただの
すこし立ち話してから自宅に入っていっただろう
2022年の現代日本が
完全に捨て去り忘却し去った暮し方だ
しあわせな暮しとはどんなものだろうと
見知らぬ路地を見ても思う
古い写真を見ても思う
すくなくとも昔はあちこちで
自分ひとりの心の外やからだの外に
しあわせを醸し出したり
ほかのひとも触れるかたちで置きっぱなしにしておく
そんなやり方があった
そのころの「わたし」とは
希薄なちっぽけな「わたし」だったのか
それともいいぐあいに曖昧な
大きな「わたし」だったのか
Henri Guérard Une courette de la rue des Amandiers, Paris, 1981
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