このところ
北の丸公園の林を歩いていなかったので
とっぷり日も暮れた夜の七時頃
暗い清水門を入っていった
皇居やその周囲の中では
清水門のあたりには霊もいれば
怪異もある
と語る霊能者もいる
近くに住むようになって
日が落ちてから清水門をくぐるのも
度重なり
もう数えきれないほどだが
霊とか怪異に出会ったことはない
ともあれ
濠や城壁のほうから
異様な声が響いてきたことは何度もあって
あゝ、あれは鵺かな
などと
のんびりした推定をしたりしてみる
なにかの鳥が
引き裂かれるような声を出して
妙な夜鳴きしているにすぎないのだろうと思っているので
声の調子にちょっと驚きはするが
怖く思ったりすることはない
清水門から入っていくと
大きな石が幅広の階段を作っていて
江戸時代
ここを上り下りして守護したり
勤めた武士たちには
この階段は難儀だっただろうと思う
夜のこんな闇の中
ここを行き来する武士たちは
なにを思い
なにを楽しみにし
岩のような壁や大きな石のひとつひとつを
どんなふうに見ただろうかと
おのずと思いが進む
現代では
ところどころに街灯が立ち
完全な闇が領することはないが
それでも足元の石や土や雑草のさまは
夜になると見定められない
こんな時には
足元に注意しながら階段を上っていく自分というものが
どこの誰ともつかぬ
ただの純粋な意識のようなものに近くなる
夜の清水門から入り
北の丸公園の中へ向かっていく自分に
ここに到るまでの物語があり
さまざまな理由も必然も気まぐれも集結し
混じりあって
そうして今
大きいものなら高さ三十センチも
五十センチもありそうな
たくさんの石を並べて組まれた階段を
時には
高く腿を上げながら
ようやく上っていけているわけだが
これが
たとえば
私=江戸時代のひとりの侍
などで
どうしてないわけがあろうか
と疑わしくなる
時間
場所
自己
などの認識の通俗的な仕方を
私はとうの昔に捨てていて
今此処が
則
今此処ニアラズ
と痛感する場合が多くなっているが
ひとりで夜の清水門をくぐり
夜の北の丸公園に歩み行っていく際など
いわゆる私などでは全くない私が歩いて行くのを
ひしひしと
ひたひたと
肌感覚で確認し続けていく
ヘーゲル
「一般的自意識は他者から区別された、
『哲学概論』 第二課程 精神現象論と論理学
C 自意識の一般性 三十八
それにしても
石段を上りながら
なんと暗い!
なんと暗くなったことよ!
と私は驚くのだった
ひと月ほど前
夜の七時頃といえば
まだ明るくて
日が長くなったものよ
と夏の日の長さを感じていたというのに
もう
すっかり自然は
一年の暮れ方へと回転していっている
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