2022年8月31日水曜日

魔法陣として

 

 

卑俗な人たちには

ただ卑俗なことだけを語れ

もっと高次のあらゆる秘密は

友人のためにとっておけ

ベネディクト派僧院長トリテミウス

 

 

 

 

プールニマ・ワグ博士は

ウイルス学と免疫学の両方で博士号を取得した人だという

 

この人の調査結果によれば

かなり大変なことがわかった

 

2019年の秋に接種されたインフルエンザ注射剤の成分が

その後に開発され出まわったCOVID注射剤成分

いわゆるコロナワクチンの成分と同じだったというのだ

コロナ騒ぎが始まる以前のことだ

身体にとって汚染物質である

還元型酸化グラフェンとLNPがそこには含まれていた

 

製薬会社は成分を変えているとしているが

実際には子供用のCOVID注射剤成分にも

大人用と同じものが入っていたという

https://twitter.com/purplep76858690/status/1564672231661342720?s=29&t=S6H3V81cnni1SisQSn1rLg

 

2019年末から2020年はじめ

まだコロナが流行り出す前

世界では奇妙なインフルエンザが流行っていた

アメリカではやけに死者が多く出ていた

日本では従来どおりのインフル流行だったように思うが

10年に一度ぐらいしかインフルエンザに罹ることのない私にも

寝込むほどではないがカゼ症状が出てきて

1127日に喉の奥から急に出血している

大声で大人数にしゃべり続ける仕事をしているので

喉の病気に罹ったかと心配したが

咳症状がずっと続くだけでそれ以上悪くはならなかった

とはいえ時には咳込みがひどくなり

特に就寝時にひどくて眠れないこともあった

もし歳老いてからこんな咳込みが続けば

肺や気管や心臓への負担のゆえに

急に死に到ることもあろうと思うほどだった

周囲でもひどく咳込む人たちが多く出ていたが

季節的には冬に入っていたので

風邪やインフルエンザの流行りはじめと思われた

 

現時点からこの時のことをふり返ると

いまオミクロンと呼ばれているウイルス罹患の症状に酷似している

 

翌年の2020120

鼻の風邪の症状が急にひどくなり

朝から鼻の奥から青い分泌物が出続けるようになった

この程度なら鼻に来る風邪が進行したものかと思えたが

翌日21日になって左目だけから大量の目ヤニが出始めた

22日には目ヤニは止まったが今度は喉がやられ発声が不安定になった

声を出そうとしてもトーンや発音を定めることができず

たとえば「これが」と言おうとしても「こへあ」になってしまう

風邪でもこんな症状ははじめての経験なので不審に思った

私の簡易日録ではこの122日にこうメモしてある

「中国武漢発の新型コロナウイルス広まりつつある。死者7人」

まだコロナウイルスは日本には来ていないはずだが

似たようなウイルスがここにも広がっているのかと漠然と思った

22日から23日の夜はひどい咳込みと痰が続き

身体を横たえるとさらに酷くなるので十分に眠ることができなかっ

朝になって起きると目のまわりが腫れ上がっていた

外出せずに家で仕事をせねばならない日だったのは幸いした

止まっていた目ヤニが午後からまた出始めた

24日にかけての夜も咳込みと痰がひどく眠れなかった

この日は外出しないといけなかったので億劫だったが

ひどく目が充血しているのを隠すためにサングラスをして過ごした

話すにも咳込みがひどいので用事が済んだら早々に帰宅した

 

ネットであれこれ調べた結果この数日の症状が

どうやらアデノウイルス感染症にあたると推定できていたので

ドラッグストアで抗菌目薬を買って点眼した

アデノウイルス感染症に罹ったのははじめてだったが

これはふつう発症してから5日ほどで終わる

とすれば25日や26日には症状は消えるだろうと推測した

トルコ東部でのマグニチュード67の地震ではじまった25

私個人に関してはアデノウイルス感染症の症状がウソのように消えていた

また再発しないかと様子をみながら迎えた26日にも

なんの支障も出ることなくその後風邪症状もなしに日々は進んだ

他方私の日録には中国でのコロナ死者数の増加が記録されていく

この頃は国内外で地震が非常に多かったのも記録されている

国内では毎日マグニチュード3から4規模のものが続き

29日にはジャマイカでマグニチュード77の地震が起きている

その日の中国でのコロナ感染者は6061人で死者数は133

32日には感染者数は13700人死者数は304人となった

 

ともあれコロナウイルス騒ぎの始まりと時を同じくして私を襲った

アデノウイルス感染症は発症期間5日で完全に終結した

症状の出ていた最後の日である24()に私はこうメモしてあ

121日よりの症状はおそらくアデノウイルス感染症。

喉の痛み、声の変調、鼻水、ひどい咳込みに加え

大量の目ヤニの出続け。しかし、発症期間は5日ほどとされるので

今週中には終わるだろう。潜伏期間は一週間ほどとされるので

113日から15日にどこかで感染したものか?」

感染したかもしれないこの期間には特別なことはしていないが

外出時に書店や花屋や職場や蕎麦屋や複数の電車乗車などをしてい

どこで罹ってもおかしくはないがはじめて入った蕎麦屋や

ふだんはあまり寄らない花屋での他人との接触は

感染場所としては考えられそうでもある

 

潜伏期間をもう数日長く見積もってみると

鶴屋南北の『御国入曽我中村』に音羽屋が変更を加えた

『菊一座令和仇討』を見に行ったことや

会員になっているギンレイホールに『さらば愛しきアウトロー』と

『永遠に僕のもの』を見に行ったことや

妖怪研究に日本に来ている中国人留学生と神楽坂で会い

ワッフルや中華料理を食べさせたことなども入ってくる

二年ほど私に馴染んで連絡し続けてきていた

若い中国人女性だったがこれがまた奇妙に暗い子で

大学院で日本人学生たちに陰湿にいじめられていることや

ストーカーされていることなどを延々と語った

聞いていると被害妄想の気もあるように思われたので

考え過ぎではないかと助言してみると

また事細かに日本人学生たちの怪しい言動を挙げはじめ

やはり相当な被害妄想に陥っていると思ったが

そう言ってしまうとひどく不満になりそうだったので

どこに言ってもいろいろな人がいるものだから

そういうところは強くなって頑張っていかないと…

などとおざなりの励ましを言い続ける羽目になった

 

とはいえこの中国人女学生がいちばん不満とする

日本人がはっきりと物を言わず意思表示しない点については

外国人たちがつねに不愉快に思って嫌がるところなので

20代から30代を外国人たちだけと暮らした私も

そういう日本人の気質には苦しめられてきた

日本国内では京都人のあの曖昧さや遠まわりさが嫌われるが

世界の中では日本人はみな京都人のように見られる

好きなのか嫌いなのか何がしたいのかしたくないのか

とにかくはっきりと言ってくれないとわからないと嫌われる

いったん外国人ふうの気質を自分にインストールしてしまうと

日本人相手にこれを出すと非常な齟齬が生じるので

どうしてもここで対日本人の演技をしないといけなくなる

つまり日本人相手にはつねにウソを演じ続けるわけで

これが続くと非常なストレスが心に生じる

私の場合はたぶん外国語読書や日本古典読書に逃れることで

心のバランスを保とうとしたように思う

古典から見てとれるかぎりでは

同じ日本でも中世や戦国時代の日本人は気持ちがいい

思っていることも好き嫌いも明快に表出するし

対立が激しくなった場合には殺しあうまでのことだ

暴力がコミュニケーションの最終手段にあることで

言論はクリアに明快になり心にわだかまりなしに毎瞬を生きられる

刀狩りされて権力構造に這いつくばるのがデフォルトとなれば

人間の表現も個人としての真の生もその場で終わってしまうものだ

 

信じ切ったりはしないものの

つねづね参照する霊能者のひとりの警告が

2020124日の日録にやはりメモしてあった

「この時期

数字の配列から

重大なウイルス性疾患の流行に注意」

 

この霊能者は

星の配置だのめぐりだのを一切考慮せず

ただ

年・月・日・時間などの数字を用いた計算からのみ

あらゆる占いを行なうのが特徴で

おそらく

ピタゴラス学派のやり方に近いのが

興味深い

 

数霊術の本は

19世紀から20世紀のものを

フランス語版で私もたくさん持っているが

十分に読んで学ぶ暇がなく

どんどんと老後の宿題が多くなっていくばかりだ

それらの本は

伴侶だったエレーヌ・グルナックと

パリのあちこちの神秘主義・オカルト系の書店で買い漁った

期待しないで偶然に入った

クレルモン・フェランやオルレアン

トゥールーズやアングレーム

リモージュやバイヨンヌ

レンヌやナントやポーの書店でも

買ったのが思い出される

死ぬまでエレーヌが手元に置いていたが

彼女の死後は私が引き取った

 

神秘主義者は誰もがそうだが

まず

喜怒哀楽や世俗の通念におもねった文芸や芸術の否定を

第一の心得として求められる

私の場合は

20世紀から21世紀の人界の観察が仕事なので

文芸や芸術の否定を隠して

カモフラージュにカモフラージュを重ね

観察対象として

フィールドワークの対象として

それらに接してきた

まるで自分自身がある種族のひとりになったかと思えるほど

自分の意識までも洗脳して

しかしごくわずかの批評性だけを維持して

フィールドワークは行なわれる

対象に成り切って戻れなくなるギリギリのところで

暴力的な切断を行ない

”こちら“に帰還してきて

対象とした種族の客観的叙述や分析を開始する

 

もっとも

また

他方

物語や言語配列も

神秘主義者には重要な箱庭ないしは文字盤であって

魔法陣としてそれらを扱う場合には

意義のある使用ができるものでもある

 

『ヨハネによる福音書』 8章111節に曰く

イエスはオリブ山に行かれた。朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。

すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った、「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。

彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。

彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のないものが、まずこの女に石を投げつけるがよい」。そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。

これを聞くと、彼らは年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。

そこで、イエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるのか。あなたを罰する者はなかったのか」。 女は言った、「主よ、だれもございません」。

イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

 

 

もとより

表象を利用しての

喜怒哀楽の解消だの

自己表現だの

大仰なところでは“自己実現”だのと言うにいたっては噴飯物だが

そうしたことは

この顕現界ではなんの意義もない

魔法陣として用いるのでないかぎり

どこまで行っても

いわゆる文学・文芸・芸術・芸能などは

なんの意味もない下らない時間つぶしであり続ける所以である

 

ベネディクト派僧院長トリテミウス曰く

「卑俗な人たちには

ただ卑俗なことだけを語れ。

もっと高次のあらゆる秘密は

友人のためにとっておけ」






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