2022年8月22日月曜日

サクタローさぁん…


 

 

 

どこにも新しい信仰はありはしない

詩人はありきたりの思想をうたひ

民衆のふるい傳統は疊の上になやんでゐる

萩原朔太郎 『惡い季節』

 

 


 

 

すくなくとも

ふつうに物を見るひとの目には

十五年も二十年も前からあまりに露わだった

にっぽん社会のどろどろが

腐りきったお肌をあちこちやぶって

どろどろ

ぐちゃぐちゃ

出てきているのですよ

それだけのこと

 

ねちゃねちゃもしていますね

くちゃくちゃ

ちゃぷちゃぷ

でどどどろ

して

おりますね

腐肉の

とろけ切ったお汁が染み出てきているのですもの

いろんな音がして

ナメクジでも顔をしかめる仕儀

 

この二十年ほど

なにか

頑張ってやりとげたとか

幸運にめぐまれて

人目を集めるお偉いさんになったとか

それらぜんぶ

でどどどろ

くちゃくちゃ

ちゃぷちゃぷ

ずどどろろ

腐敗に見込まれた

チープな包装紙だっただけの

こと

 

生まれた子

成長した愛やあこがれ

おゝ

そうして

みなさん大好きな

「家庭」!

「家庭」!

「家庭」!

「お父さま」!

「お母さま」!

みぃんな

でどどどろ

くちゃくちゃ

ちゃぷちゃぷ

ずどどろろ

だった

だけ

 

なぁんにもなかった

二十年ほど

 

だぁれも

生まれなかった

なぁんにも

起こらなかった

 

腐りきったお汁が

桜を見る会

とか

おりんpigとか

そのたぐいの百鬼夜行に

わさわさうきうき

集まって

pigたち

どろどろ

ぐちゃぐちゃ

どろぐちゃぱーてぃー

してた

だけのこと

ほんとは

なぁんにもなかった

まったく

なぁんにも

 

あゝ

なつかしい

あの光景のほうへ

あの口ぶりのほうへ

引き寄せられて行って

しまいそう

 

まづしい漁村の裏通りで魚のくさつた臭ひがする

その腸は日にとけてどろどろと生臭く

かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。*

 

なめくじも

垣根を這い上がっていたのよね

 

サクタローさぁん…

 

みはらしのほうからは

生あつたかい潮みずも臭ってきて

いたのよね

 

サクタローさぁん…

 

そうして

あなたはふいに問い

ふいに

歌うのでございました

 

どうして貴女はここに來たの

やさしい 青ざめた 草のやうにふしぎな影よ

貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない

さうしてさびしげなる亡靈よ*

 

サクタローさぁん…

 

ああ この春夜のやうになまぬるく

べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ

妹のやうにやさしいひとよ

それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない

さうしてただなんといふ悲しさだらう。*

 

そう

 

そうして

ただ

なんという

悲しさ

 

でどどどろ

くちゃくちゃ

ちゃぷちゃぷ

ずどどろろ

ねちゃねちゃ

 

にっぽん腐肉の

とろけ切ったにっぽんお汁が染み出てきて

いますのね

いますのね

 

かうして私の生命や肉體はくさつてゆき

「虚無」のおぼろげな景色のかげで

艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。*

 

サクタローさぁん…

 

でどどどろ

くちゃくちゃ

ちゃぷちゃぷ

ずどどろろ

ねちゃねちゃ

 

もう

なまめかしくもなく

ねばねばと

にゃちゃにゃちゃと

るどどどと

にゃぎゃにゃぎゃと

しなだれていっているのです

しなだれていっている

だけ

 

どうして貴女はここに來たの

 

なぁんて

知りませんの

 

知りませんわ

 

こんな薄暗い

にっぽん墓地の

にっぽん景色の

なか

なんて

 

 

 

 

*萩原朔太郎 『艶めかしい墓場』 (「青猫」 1923








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