明恵の歌に
ふいに
逢着した
雲をいでて我にともなふ冬の月風やみにしむ雪やつめたき
ブッダのような
悟りに達した人だと
明恵を
評する人もいる
この歌は
若い頃のものだろうか
悟りに
達していない人の
歌である
冬の風が
寒いのはあたりまえであり
雪が
冷たいのも
あたりまえである
それを歌うのは
よい
しかし
悟りに達した人なら
風が身にしみるものではないのを
よく感じとっているだろう
風やみにしむ
という表現は避けるはずである
もうすこし
言おう
空気の寒さ
冷たさが
身にしみることはありうる
しかし
風の冷たさは
身に
しみない
「風やみにしむ」と
あなたが言いたかった時
風と
あなたの体感と
温度認識とのあいだに
本当に起こっていたことは
なにか
述べよ、明恵
この人は
この歌を作った時点では
言葉を悟っていない
つまり
悟りに達していない
あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月
これも
有名な歌ではある
しかし
くだらない
明恵を
批判し
うち捨てている
のではない
専修念仏の法然に対し
発菩提心の重要性を打ち出した彼の
精神と霊のつながりに関する認識にもとづく
方法論は尊ぶ
だが
精神を構成する諸要素の濃度
霊を構成する諸要素の密度
それらは
人によって異なり
発菩提心の効く人も
専修念仏の効く人もいる
法然なら
専修念仏は
発菩提心そのもの
だと
言うだろう
発菩提心なき人が
専修念仏することはあり得ないのだから
と
また
念仏を唱えた瞬間に
発菩提心はかならず霊を満たすであろうから
と
しかし
念仏が空疎に唱えられ
呪文に堕してしまわないように
ブッダは言う
多くの呪文をやたらにつぶやいても
人は生まれによって
バラモンとなるのではない
内心は汚物に汚れ
欺瞞に覆われている
前世の生涯を知り
また天上と地獄とを見
生存を滅ぼしつくすに至って
直観智を確立した聖者
この三つの明知があることによって
三つの明知をそなえたバラモン
となるのである*
前世の生涯を知り
天上と地獄とを見
生存を滅ぼしつくして
直観智を確立するには
明恵の勧めるように
発菩提心しか
方法はないだろう
だが
直観智
を持つことへの
明確な方向性を持たねば
発菩提心も
意義を失う
*『ブッダ 悪魔との対話』(中村元、岩波文庫、1986)
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