2022年12月25日日曜日

直観智

 

 

 

明恵の歌に

ふいに

逢着した

 

雲をいでて我にともなふ冬の月風やみにしむ雪やつめたき

 

ブッダのような

悟りに達した人だと

明恵を

評する人もいる

 

この歌は

若い頃のものだろうか

 

悟りに

達していない人の

歌である

 

冬の風が

寒いのはあたりまえであり

雪が

冷たいのも

あたりまえである

 

それを歌うのは

よい

 

しかし

悟りに達した人なら

風が身にしみるものではないのを

よく感じとっているだろう

風やみにしむ

という表現は避けるはずである

 

もうすこし

言おう

空気の寒さ

冷たさが

身にしみることはありうる

しかし

風の冷たさは

身に

しみない

 

「風やみにしむ」と

あなたが言いたかった時

風と

あなたの体感と

温度認識とのあいだに

本当に起こっていたことは

なにか

述べよ、明恵

 

この人は

この歌を作った時点では

言葉を悟っていない

 

つまり

悟りに達していない

 

 

あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月

 

これも

有名な歌ではある

 

しかし

くだらない

 

明恵を

批判し

うち捨てている

のではない

 

専修念仏の法然に対し

発菩提心の重要性を打ち出した彼の

精神と霊のつながりに関する認識にもとづく

方法論は尊ぶ

 

だが

精神を構成する諸要素の濃度

霊を構成する諸要素の密度

それらは

人によって異なり

発菩提心の効く人も

専修念仏の効く人もいる

 

法然なら

専修念仏は

発菩提心そのもの

だと

言うだろう

 

発菩提心なき人が

専修念仏することはあり得ないのだから

 

また

念仏を唱えた瞬間に

発菩提心はかならず霊を満たすであろうから

 

しかし

念仏が空疎に唱えられ

呪文に堕してしまわないように

 

ブッダは言う

 

多くの呪文をやたらにつぶやいても

人は生まれによって

バラモンとなるのではない

内心は汚物に汚れ

欺瞞に覆われている

前世の生涯を知り

また天上と地獄とを見

生存を滅ぼしつくすに至って

直観智を確立した聖者

この三つの明知があることによって

三つの明知をそなえたバラモン

となるのである*

 

前世の生涯を知り

天上と地獄とを見

生存を滅ぼしつくして

直観智を確立するには

明恵の勧めるように

発菩提心しか

方法はないだろう

 

だが

直観智

を持つことへの

明確な方向性を持たねば

発菩提心も

意義を失う

 



 

 

*『ブッダ 悪魔との対話』(中村元、岩波文庫、1986

 





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