4月11日は
文章を書く必要から
丸の内の仲通りやブリックスクエアに取材に出て
いろいろな店舗についてメモを取ったり
地図を書いて位置関係を記入したり
写真を撮ったりしていた
その後
近ごろ変貌めまぐるしい東京駅の地下街をほぼすべて回って
入っている店のあれこれを意識に入れ直した
どうして思い出したのか
この日が金子みすゞの誕生日だったと思い
なんとなく
そんな色を帯びた目で
丸の内や東京駅を見直していた
金子みすゞという人の童謡詩は
わたしの子どもの頃にはまったく知られていなかったので
彼女のものをふつうに目にして成長していく昨今の子どもたちの未
わたしが生きてきた世界のこころとは
(わたしはそれを「世界心」などと大げさに呼んでみたくなる)
まったく異なったものになっていくだろう
金子みすゞを十代二十代でふつうに目にする人たちの未来は
否応もなく必然的に別のものになっていくだろう
わたしは金子みすゞのことをよく知らないが
夫のひどい仕打ちのせいで26歳で自殺したぐらいは知っている
夫のひどい仕打ちのせいで…
女癖のよくない夫が女性問題や放蕩に嵌まり込み
そんな夫から金子みすゞが淋病をうつされたというだけでも
あんな童謡詩を書く彼女にはひどいひどいひどい事態だっただろう
正式な離婚がほぼ固まってひとり娘も彼女が育てると決まったとい
夫がまた結論を翻し娘の親権を強硬に要求することになったそうだ
こんなごたごたのひと月後にみすゞは服毒自殺を遂げる
飲んだのはカルモチンだったというが
ブロムワレリル尿素からなるこの催眠鎮痛剤は
太宰治が心中するのに使った薬剤として有名なあれだ
金子みすゞの詩をわたしはぜんぶ読んではいないが
当時の詩歌の人たちのつねとして
短歌の韻律を深いところまで染み通らせた言葉紡ぎをしていて
現代でも愛唱される理由はそこにあるだろうと感じる
ニッポンジンはどこまでも五七調や七五調であり
二十一世紀になったからといって猶も変わりはしない
これに抵抗した詩歌はことごとく滅び
いまやいよいよ五七調や七五調がふたたび表に蘇ってくる
ああ、かたじけなくもなさけない
うらさびしくもおそろしい
五七調や七五調の御代!
金子みすゞの自殺は
消滅とか滅びというものとは違って
燦然たる力の爆発のようにわたしなどは感じる
よくもまあ
自殺程度のことで済んだものと思う
自殺程度にことを収めたのが金子みすゞの力量の大きさであって
もっと大変な破滅を引き起こすことも可能であっただろう
そんなことをボーッと思いながら
つまらない品物や食い物が
無意味にちょっと高価に値付けられている浮薄の都
東京駅チカをさまよい歩いていた
浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮(いわし)のとむらい
するだろう。*
などが
まずはアタマに浮かんできたが
こんなのも
次には
浮かんできた
人の知ってる草の名は、
わたしはちっとも知らないの。
人の知らない草の名を、
わたしはいくつも知ってるの。
それはわたしがつけたのよ、
すきな草にはすきな名を。
人の知ってる草の名も、
どうせだれかがつけたのよ。**
「どうせだれかがつけたのよ」
とは
ああ、なんという
世捨てっぷりだろう!
「人の知ってる草の名」など
わたしの土俵にも
舞台にも
世界にもしないわ
という
なんという
グレっぷりだろう!
ヤエチカとか
エキナカとかいって
おっきなスーツケースを滑らし
買い込んだ
お土産袋をいくつも提げ
あれやこれ
いろんなものをむしゃむしゃ頬張って
通路を
右往左往し
さらに
右顧左眄する
観光客でいっぱいの
ぜんぜんおもしろくない
チカ街を
さまよいながら
金子みすゞに負けぬ
世捨てっぷり!
グレっぷり!
しっかり
こころに堅持し続けようと
またまた
いつものように
替え歌ならぬ
替え詩して
ずんずん
ずんずん
いっそうずんずん
ずんずん
わたしは歩いて行き出した
わたしも歩いて行き出した
人の知ってるしあわせは、
わたしはちっとも知らないの。
人の知らないしあわせを、
わたしはいくつも知ってるの。
それはわたしがきめたのよ、
これそれあれがしあわせと。
人の知ってるしあわせも、
どうせだれかが決めたのよ。
*金子みすゞ「大漁」
**金子みすゞ「草の名」
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