Ⅰ
老境のヴィクトル・ユゴーは
馬車での散策を
愛人のジュリエット・ドゥルエとくり返した
彼は終始押し黙り
瞑想しているかのようでさえあったが
大小ふたつの門のある屋敷の前に差しかかると
大きな門を指さして
ジュリエットに
「ほら、馬車用の門だよ」と言う
すると
ジュリエットが小さな門を指して
「あなた、徒歩用の門ですわ」
と言う
さらに先へ進んで
枝を絡ませあっている二本の大樹のところに来ると
ユゴーは
「ほら、フィレモンとバウキスだ」
と言うのだが
これには
ジュリエットは答えない
何年にもわたって
この散策も
会話とも言えないこのやりとりも
儀式のごとくくり返され
おそらく千回にも及んだだろうが
判で押したかのように
まったくおなじやりとりだった
Ⅱ
フィレモンとバウキスは
ギリシア神話中の老夫婦で
人間に身をやつしてゼウスとヘルメスが来た時に
手厚くもてなした功から
同時に死にたいという願いを叶えられて
寄りそう二本の樹となって死んだ
このことから
夫婦愛の象徴とされている
Ⅲ
「ほら、フィレモンとバウキスだ」
と言うユゴーに
ジュリエットは答えなかった
ジュリエットは
1833年
27歳の時にユゴーに会い
それまでの女優のキャリアを捨てて
ユゴーの秘書となり
また旅の同伴者ともなって
その後の50年間を
彼の愛人として過ごした
ユゴーの妻が死んだ後も
ジュリエットは
ユゴーと結婚することはなかった
「ほら、フィレモンとバウキスだ」
と
ユゴー
答えない
ジュリエット
Ⅳ
ヴィクトル・ユゴー 1802―1885
ジュリエット・ドゥルエ 1806―1883
ユゴーより二年先に逝った
ジュリエット
ユゴーのまわりの人びとは
ジュリエットの葬儀へのユゴーの参列を
思いとどまらせたという
ジュリエットなき後
最期の二年を
ユゴーは
どう生きただろうか?
Ⅴ
政治家ともなり
ナポレオン三世に抵抗したユゴーの
波乱の歳月
ジュリエットは献身的に
ユゴーを支えた
しかし
ユゴーは
1844年から1851年の7年間
レオニー・ドネを愛人とし
1847年には
女優アリス・オズイとも関係している
ユゴー71歳の1873年には
ジュリエットの家政婦ブランシュと関係したが
当時67歳のジュリエットとしてみれば
長年にわたる尊敬すべき老愛人のお手軽な痴情処理に
呆れるほかなかっただろう
Ⅵ
生涯を通じて
ジュリエットからユゴーに向けて書かれた
22000通以上の手紙は
彼女の文才を証明するものとされる
ジュリエット77歳の
1883年1月の最後の手紙には
こう書かれている
《こんな時代ですから
来年はどこにいることになるか
私にもわかりません。
けれども
こうしてあなた宛てに送る私の“生存証明書”に
たったひと言
「愛しています」
という言葉だけでサインできて
私は幸せです。
誇らしく思います。》
Portrait de Juliette Drouet par Jules Bastien-Lepage, 1883
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