2023年5月31日水曜日

「ほら、フィレモンとバウキスだ」


 

    Ⅰ

 

老境のヴィクトル・ユゴーは

馬車での散策を

愛人のジュリエット・ドゥルエとくり返した

 

彼は終始押し黙り

瞑想しているかのようでさえあったが

大小ふたつの門のある屋敷の前に差しかかると

大きな門を指さして

ジュリエットに

「ほら、馬車用の門だよ」と言う

すると

ジュリエットが小さな門を指して

「あなた、徒歩用の門ですわ」

と言う

 

さらに先へ進んで

枝を絡ませあっている二本の大樹のところに来ると

ユゴーは

「ほら、フィレモンとバウキスだ」

と言うのだが

これには

ジュリエットは答えない

 

何年にもわたって

この散策も

会話とも言えないこのやりとりも

儀式のごとくくり返され

おそらく千回にも及んだだろうが

判で押したかのように

まったくおなじやりとりだった

 

 

 

     Ⅱ

 

フィレモンとバウキスは

ギリシア神話中の老夫婦で

人間に身をやつしてゼウスとヘルメスが来た時に

手厚くもてなした功から

同時に死にたいという願いを叶えられて

寄りそう二本の樹となって死んだ

このことから

夫婦愛の象徴とされている

 

 

 

     Ⅲ

 

「ほら、フィレモンとバウキスだ」

と言うユゴーに

ジュリエットは答えなかった

 

ジュリエットは

1833

27歳の時にユゴーに会い

それまでの女優のキャリアを捨てて

ユゴーの秘書となり

また旅の同伴者ともなって

その後の50年間を

彼の愛人として過ごした

 

ユゴーの妻が死んだ後も

ジュリエットは

ユゴーと結婚することはなかった

 

「ほら、フィレモンとバウキスだ」

ユゴー

 

答えない

ジュリエット

 

 

 

     Ⅳ

 

ヴィクトル・ユゴー 1802―1885

ジュリエット・ドゥルエ 1806―1883

 

ユゴーより二年先に逝った

ジュリエット

 

ユゴーのまわりの人びとは

ジュリエットの葬儀へのユゴーの参列を

思いとどまらせたという

 

ジュリエットなき後

最期の二年を

ユゴーは

どう生きただろうか?

 

 

 

     Ⅴ

 

政治家ともなり

ナポレオン三世に抵抗したユゴーの

波乱の歳月

ジュリエットは献身的に

ユゴーを支えた

 

しかし

ユゴーは

1844年から1851年の7年間

レオニー・ドネを愛人とし

1847年には

女優アリス・オズイとも関係している

ユゴー71歳の1873年には

ジュリエットの家政婦ブランシュと関係したが

当時67歳のジュリエットとしてみれば

長年にわたる尊敬すべき老愛人のお手軽な痴情処理に

呆れるほかなかっただろう

 

 

 

      Ⅵ

 

生涯を通じて

ジュリエットからユゴーに向けて書かれた

22000通以上の手紙は

彼女の文才を証明するものとされる

 

ジュリエット77歳の

1883年1月の最後の手紙には

こう書かれている

 

《こんな時代ですから

来年はどこにいることになるか

私にもわかりません。

けれども

こうしてあなた宛てに送る私の“生存証明書”に

たったひと言

「愛しています」

という言葉だけでサインできて

私は幸せです。

誇らしく思います。》

 

 


 

image.png

Portrait de Juliette Drouet par Jules Bastien-Lepage, 1883





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