2023年5月30日火曜日

水に染み込まれていく岩

 

  

高級なホテルだったので

みんなが帰ってしまった後でも

豪華さや質の高さに心が痺れ続けているためか

愉しさに幾重にも包まれているようで

絨毯の敷き詰められた通路を

ひとりで歩いているような時でさえ

どこか

酔い心地だった

 

自分の部屋の窓からは

さっきまで宴の開かれていた広いテラスが見下ろせて

集まったひとびとの顔や笑い声が

いくらでも蘇り続けた

 

テラスはすっかり片付けられて

もう誰もいなければ

食器や酒瓶などもない

テーブルや椅子さえ仕舞われて

大理石の床が

深更の闇の中にいくらか白さを残している

 

わたしは死をよく知っている

さっきまでひとびとで賑やかだったあのテラスの

闇の中の大理石のほの白さ

あれが死だ

さっきまであそこにいたわたしの姿は

すでにもう

あのテラスのどこにもない

いたところに

いま

いない

それだけのことで

それ以上のものでもなく

それ以下の

ものでもない

なんという整序!

なんという潔癖さ!

なんという静けさ!

 

彼はグラスにミネラルウォーターを注ぎ

見下ろせるテラスに向けて

グラスをすこし上げて

敬意を込めた乾杯のしぐさをした

 

何度も何度も

祝杯をあげたテラスを見下ろしながら

あのテラスのどこにも

さっきまでの自分が

もう

いない

いま

ミネラルウォーターこそが

ふさわしかった

 

少しずつ

ミネラルウォーターを飲みながら

いま

自分は

水の染み込んでいく

硬いところもあれば

脆いところもある

と思った

 

水に

染み込まれていく

わたし

 

 



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