2023年7月6日木曜日

誤りて人に生れし



 

「存在するのは二つの党派だけだ。一つは堕落した人間の党派。もう一つは有徳の人間の党派である。その財産や地位ではなく、その性格でもって人を見分けなければならない。人間には二種類のカテゴリしかない。一方に、自由と平等の賛同者、抑圧されているものの擁護者、生活困窮者たちの友がいる。他方に、邪悪で、富裕で、不正義で、暴虐なアリストクラートがいる。まさにこれがフランスに存在する分裂なのである。」

マクシミリアン・ロベスピエール

 

「市民諸君、あなたがたは革命なき革命を望んだのか。自由の友であるフランス人が、先の八月、パリに集い、全県に代わってこの問題に取り組んだ。われわれは、彼らを完全に承認するか否認しなければならない」

   マクシミリアン・ロベスピエール

 

 

 

 

フランスで何が起こっているかなど

知っている

 

それについて

あまりの多くの人が

なんやかや

フランスでは

喋りたがっているので

ぼくが

わざわざ日本語で喋る必要はない

 

そんなことより

七月六日から

入谷の鬼子母神では

朝顔まつりが始まることや

九日には

ほおずき市が浅草寺で催され

来週には

もう

靖国神社でみたま祭が始まることを

語ろう

 

これが

日本流の逸らし

時に

おそろしく

重いものを繊細に迂回して

斬首の後の刀の切っ先にさえ

季節のひかりの美を

見ようとする

 

 

フランスのことについては

しかし

答えはとうに出ている

 

第三共和政以降は

自由・平等・友愛というのが

国の標語なのだから

標語のとおりに徹するか

それとも標語を取り下げるか

どちらかにする他ない

 

そもそも

矛盾しあう「自由」と「平等」を掲げて

「友愛」を万能接着剤として使って

誤魔かしてみようとしただけの標語だから

100年以上努力してみましたが

やっぱり無理でした

取り下げます

きっぱり宣言したらいい

 

 

今のうちにそうしないと

いろいろ詮索されて

いよいよ追い込まれていくことになる

 

 

1793年版の『人間と市民の権利の宣言』で

「すべての人間は生まれながらに平等であり、法の下で平等である」

とあるのは

ずいぶん大ざっぱなのでいいとしても

1795年版の『人間と市民の権利の宣言』では

「平等とは、保護を与えるにせよ、罰を与えるにせよ、法はすべての人間に対して同一である、ということである。生まれによるどのような差別も、また権力のどのような世襲も許されない」

となると

許されないはずの「世襲」なるものが

あれ?

あれ?

あれ?

と引っかかりはじめて来る

 

 

ロベスピエール流に言えば

「平等」は祖国と共和国への愛から生じるもので

それは極端な富の偏在を許さない

「平等」は世襲を廃することであり

課税は累進的なものでなければならない

これはサンキュロット派の「平等」で

すでにブリッソー派の「平等」とは異なっている

 

 

近代化への巨大な爆弾だった

ルソーの『社会契約論』ではどうなっているのだろう?

 

「平等という語で、すべての人の権力と富の大きさを絶対に同じにすることと理解してはならない。

権力の平等とは、(一人の市民のもつ権力があまりに大きくなって)いかなる場合に暴力にまで強まることがないこと、そして(すべての権力が)つねに地位と法律とに依拠して行使されることを意味する。

富の平等とは、いかなる市民も他の市民を買えるほどに富裕にならないこと、いかなる市民も身売りせざるをえないほどに貧しくならないことを意味するものと理解すべきである。

このことは、(権力と富が)豊かな者も、みずからの財産と勢力の行使を抑制し、貧しき者も、貪欲と羨望を抑制することが前提となるのである (15)
 こうした平等は、実際には存在しえない机上の空論だという意見もあるだろう。しかし(権力と富の)濫用が避けられないものだからといって、れを規制することまでもが不要となるというのだろうか。たしかに、平等が破壊されるのは、自然な成り行きというものである。だからこそ、立法の力で、平等を維持するように努めるべきのである。」*

 

そして注15には

「だから国家に安定性を与えたいならば、この両極端の違いをできるだけ小さくすることである。百万長者も乞食も存在しないようにしなければならない。この二つの身分はもともと不可分に結びついているのであり、どちらも公共の幸福に有害なのである。乞食の身分からは、暴君の政治を扇動する者が生まれ、百万長者の身分からは暴君そのものが生まれる。この両者のあいだで、公共の自由が売り買いされるのである。一方がそれを買い、他方がそれを売る。」*

 

 

現実社会というものを考えながら

「平等という語で、すべての人の権力と富の大きさを絶対に同じにすることと理解してはならない。」と留意させるのはいいとしても

ルソーはじつは

「権力の平等」について正確に語っていないし

「富の平等」についても曖昧な迂回説明しかしていない

ましてや

「平等」そのものの概念については

まったく踏み込んでいない

 

いかなる市民も他の市民を買えるほどに富裕にならないこと、かなる市民も身売りせざるをえないほどに貧しくならないこと」

というのはけっこうなことだが

マルクス以降の目で読み直したら

賃労働って

すでに「身売り」だよナ?

どうしても考えるほか

なくなってしまう

 

 

「友愛」については

1795年版の『人間と市民の権利の宣言』では

「己の欲せざる所は人に施すなかれ。

常に、自分がされたいと思う善事を他者に施すように。」

とあって

なんだか

小学校の道徳や倫理のお時間である

 

ナンテールで銃弾を青年に撃ち込んだフランス共和国公務員の警官

よっぽど

「自分がされたいと思う善事を他者に施」したつもりだったのだろうから

今後自分も同じように一発撃ち込まれたらよいだろう

 

 

ともかくも

もし

言葉を書かれている通りに素直にフランス共和国国民全員で理解するなら

フランスのことについては

しかし

答えはとうに出ている

 

「国家に安定性を与えたいならば」

あらゆる「世襲」の財産や地位をすぐに廃止せよ

 

あらゆる相続も認めない徹底した「世襲」財産の取り上げを直ちに行なえ

 

権力行使を「いかなる場合にも暴力にまで強まることがない」ものに

厳しく限定せよ

 

「いかなる市民も他の市民を買えるほどに富裕にならない」ようにせよ

「他の市民を買」うとは

「他の市民を」雇うことでもあるので

雇用関係そのものを社会から廃止禁止せよ

 

「いかなる市民も身売りせざるをえないほどに貧しくならない」ようにせよ

すなわち

時間や労力を売るという「身売り」を社会から廃止禁止せよ

 

 

あまりに当然すぎて

わざわざ

こんなふうに書き並べるほどのことも

ないだろう

 

これらができないというなら

羊頭狗肉の標語

「自由・平等・友愛」などという戯れ言は

すぐに下げるべきだろう

 

「不自由・不平等・不友愛」とか

「非自由・非平等・非友愛」とか

さらには

「反自由・反平等・反友愛」とか

あたりは

なかなか苦みが利いていて

お勧めではある

 

 

暑い時節でもあるので

日本流の逸らし

最後に

もうひとつ

 

誤りて人に生れし暑さかな

(会津八一)

 

 

 

 

*ルソー『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(中山元訳、光文社古典新訳文庫、2008,

p.110-111p.114

 

 




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