歌人の斎藤史が
幼なじみで殊の外親しかった
226事件首謀者の栗原安秀中尉の処刑を思って歌った短歌
ひきがねを引かるるまでの時の間は音ぞ絶えたるそのときの間や
これを読み直していて
27歳の栗原安秀中尉の銃殺や
その他15人の銃殺刑は
東京のどこで行われたのかと調べてみたら
東京陸軍刑務所の中だった
現在でいえば
渋谷区宇田川町で
NHK放送センターを目の前にした
渋谷区役所やLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)のある一画
現在は
慰霊碑が
東京法務局渋谷出張所と無国籍通りの間に
建てられている*
…そうか
あんなところで
と
思いながら
処刑日が
昭和11年7月12日だったことにも
あらためて
注意を惹かれた
7月13日から16日に催される
靖国神社のみたま祭りの直前の日だったか
と……
渋谷や代々木は
そもそも
明治以降長いこと
陸軍に縁の深い土地だった
陸軍刑務所跡地から近い代々木公園は
もともと大日本帝国陸軍代々木練兵場で
戦後はアメリカに接収されて米軍将校の居住地「
現在のような公園となるのは
1967年以降のことに過ぎない
今でも
渋谷には
「陸軍用地」と刻まれた境界標石が
あちこちに残っている
あだ名で「クリコ」と呼んで
斎藤史が格別親しくしていた栗原安秀中尉は
処刑前に
不当性を告発し
「我らを虐殺せし」軍の幕僚に報復を誓い
彼らが滅びないなら「全国全土をことごとく荒地となさん」という
呪いに満ちた遺書を残した
陸軍刑務所での銃殺刑直前の最後の言葉は
「天皇陛下万歳 霊魂永遠に存す。栗原死すとも維新は死せず」
だったと言われる
渋谷のあのあたりまで
ほとんど脚を伸ばすこともないが
銃殺刑直前の最後の言葉が染み
「音ぞ絶えたるそのときの間」も開いた
土地の空気の底に
そのうち
耳を澄ましに行こうか
とも思う
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