2023年8月6日日曜日

ブラヨン


 

映画『キューポラのある街』の

3155秒あたり

 

ヒロインの石黒ジュン(吉永小百合)が

友だちの家に行って

数学を教えているところで

ふいに階下から

ブラームスの交響曲第4番が流れてくる

「兄のお気に入りのステレオよ」

と友だちは言い

ジュンと友だちの生活格差が

一気に露わになる

 

ここのところには

ちょっと

感心してしまった

 

監督の浦山桐郎は

ここに

ブラームスの第4番を使ったのだ

まあ

1番ではないだろうが

2番も第3番も使わずに

寂しげな第4番を

ここで

使うとは

 

むかし

音大のガールフレンドなどは

ブラームス第4番を

ブラヨンと呼んでいた

「ユキエちゃんは期末コンサートの

ブラヨン練習で忙しいって」

などというふうに


もちろん

ブライチだったり

ブラサンだったりも

する

 

ベートーベンの第9を

ベトキュウ

と呼ぶのは

あまり

聞かなかったような気がする

 

モーツァルトの『レクイエム』などは

モツレクであり

ショスタコーヴィチはショスタ

プロコフィエフはプロコ

 

ショパンのバラード第1番などは

バライチ

バラード第2番は

バラニ

その後は

バラサン

バラヨン

と呼ばれていく

 

まことに

音大生たちの

略称の隠語というのも

なんだか

美も

畏敬の念もなくて

恐るべし

だった

 

ガールフレンドは

ショパンのバラードを

順々に自分のものにして

発表会のたびに

みごとに弾いていった


しかし

バラヨンで躓いた

出だしのところで調子を崩し

指が止まってしまった

息をとり直し

落ち着いて

最初から弾き直し

みごと

最後まで弾き切った

 

だが

この時の失敗は

自信の根本的な崩れに繋がり

二年後には

ピアノを

全面的に放棄することになった

 

自分が監督なら

『キューポラのある街』の

ここで

どんな曲を流すだろう

と思いながら

ジュンが友だちに勧められて

生まれてはじめて

口紅を塗ってみる場面を

見つめていた

 





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