2023年9月17日日曜日

ともあれ きみのおかげだ 川島桃子よ

 

 

 

『新世紀エヴァンゲリオン』の

テーマ曲

「残酷な天使のテーゼ」が

いつでも懐かしい

 

永遠に

懐かしい

 

https://youtu.be/o6wtDPVkKqI

 

年齢や世代と関係なしに

『新世紀エヴァンゲリオン』を面白がれる人か

面白がれない人か

 

人間関係というか

人種というか

分断は

ここでハッキリと起こる

つよく感じる

 

『新世紀エヴァンゲリオン』を受け入れる人は

あらゆるSFや超常現象や複雑な小説や哲学や精神分析や

オカルトや神秘主義などまでも

受け入れうる精神的傾向があるので

関われる可能性が出てくる

 

そういうリトマス試験紙の役割を

『新世紀エヴァンゲリオン』はする

最近

よく感じる

 

庵野秀明の

『新世紀エヴァンゲリオン』(Neon Genesis EVANGELION)は

GAINAX制作による日本のアニメーション作品で

1995104日―1996327日にかけて

テレビアニメとして

テレビ東京系列他で全26話が放映された

 

当時

早稲田の大学院博士課程にいたぼくは

フランス小説分析

現代哲学

文化人類学

フランス革命などにかかり切りで

アニメには興味がなかった

 

というより

早稲田の大学院というところは

あらゆるジャンルのオタクの集結するところなので

アニメなどは演劇科の修士課程や博士課程の連中が知り尽くしてお

彼らの専門となるので

彼らに任せるという気持ちがあった

『新世紀エヴァンゲリオン』についても

彼らのうちの誰かに聞けば

すぐに詳細な分析を聞かせてもらえる

なにせ

アニメ研究をしている博士課程の学生ともなると

ろくに眠りもせずに

一日中アニメのビデオを見てメモを取り続けるような連中で

世間一般のアニメ好きとか映画好きというのとはレベルが違ってい

 

こういうのがいっぱいいるのが

「大学院」であり「大学」で

これは

学部生の経験しかない人には

全くわからない

に違いない

 

(学部生と大学院生の違い

というのは

すさまじく大きい

困難な試験になんとか合格して大学院に入ると

学部生というものが

ほとんど存在を認められていないことに気づかされる

ぼくの指導教授など

大学院の授業をしていた校舎の下で

ボール投げして

すこし騒いでいた学部生に

「きみらはなんだ?

学部生か?

ここはきみらの来るところじゃない!」

と叫んだものだ

「まったくああいう連中は…

なんの研究もしない学部生たちなんか

いなけりゃいい」

とぼくらに言うのも常だった

「いや、先生

そうすると大学経営ができなくなるので…」

などと

かならず冗談を言う者もいた)

 

ぼくの場合

それに加えて

1996年からは

創作専攻の早稲田大学文学部文芸専修の助手にもなったので

世間の枠を外れた文芸専修の学生たち

800人(一文二文あわせて)の世話をすることになり

彼らとの付き合いも連日連夜で

そこから入ってくる情報や若い感性や新しい価値観にも

膨大なものがあった

 

ぼくが自分で『新世紀エヴァンゲリオン』を見ることになったのは

当時

大学院での研究のかたわら勤めていた小中高の進学塾で

アニメ好きの中学生女子からビデオを押し付けられたからだった

 

26話を収めた26巻のビデオ11巻を数日おきに押しつけられて

全巻見るハメになった

 

おかげで

1996年にはすでに

『新世紀エヴァンゲリオン』の全容を把握できていた

 

この中学生の女の子は

中学生ながら哲学や最新の小説に興味があって

ひとり思い悩むところもあれば

毒舌家でもあり

ずいぶん個性的だったが

(ま

遅れてきた段階の世代型少女ともいえるが…)

大人にも上から目線で話したり

ビデオを押し付けたりしてくる子だったおかげで

こちらも

『新世紀エヴァンゲリオン』に乗り遅れないで済むことになった

 

以来

歳下の人たちの関心事や意見や感性は

ほぼ

そのまま取り入れて自分のものにすることにしたので

同世代とは

どんどん

関心事や意見や感性が

離れていくことになった

 

ともあれ

きみのおかげだ

川島桃子よ

 

今ごろ

どこでどうしていることか

 

去年の雪

いまいずこ?

(フランソワ・ヴィヨン)





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