ちょっと前
向田邦子の夢を
ふいに
と言いたいほどの唐突さで見たのだが
ぼくの人生のなにかや
ぼくの奥底の精神のどこかが
大きく変容しでもしたのだろうか?
というのも
というのも
昭和の一時期
1970年代から
彼女が飛行機事故で死ぬ81年まで
テレビドラマ界は
向田邦子一色だったし
1980年に直木賞をとって
作家としてもはっきりと地位を確立して
書店でも向田邦子の名で溢れていたというのに
ぼくは個人的に
向田邦子のタッチが大嫌いで
なんだか
お新香くさい
味噌汁くさい
いかにも昭和な家族話を
べったりと見せつけられるようで
どうにも我慢ならなかった
からだ
社会問題を扱わない
扱えない
物語的にも冴えのない
有吉佐和子のドンクサ版を
畳にちゃぶ台的な暮らしかたの
いよいよ
滅却させられはじめた
昭和の
最終章の時期に
見せつけられているような
感じがした
小説でも戯曲でも詩歌でも
なんでもかんでも読むタチだったので
向田邦子の本も手に取ってみたが
どうにも読み進められない
ぜんぜん面白くない
ああ、ドンクサ!
とばかり
感じる始末だった
いまふり返ってみれば
YMOやユーミンや
大滝詠一や山下達郎や
松田聖子などが
昭和の色彩を
爆発的に塗り替えようとしていた時期に
ドンクサ昭和家庭風俗を
ひとり背負った向田邦子だったので
ぼくが向田邦子を読めない!
というのは
時代的な分断現象としてこそ
見直すべきことだったかもしれない
そうでなくとも
当時のぼくの頭のなかは
ドゥルーズ+ガタリやフーコーや
ヴィトゲンシュタインや
バルザック全集や
ドストエフスキーや
ランボーや
ロートレアモンでいっぱいだったので
向田邦子の入り込む余地が
ほとんどなかったのは
まあ
しょうがない
と
いまなら
思える
ところが
そんな向田邦子の夢を
後藤明生の小説の仕込みなみに
ふいに
唐突に
見たのである
ぼくは向田邦子の家を訪ねていて
それほど立派でもない書き机を眺めたり
その机からは台所の上にあるけっこう広い窓が見えて
外に見える通りを人が歩いて行くのが見えたり
雑草が見えたりして
なかなかこういうのも悪くないな
などと思ったりしていた
向田邦子の終の住処となった
東京都港区南青山五丁目のマンションでもなく
彼女がひとつ前に住んでいた
東京都西麻布三丁目(旧霞町)のアパートでもおそらくない
もうちょっと庶民的な
下町的な感じのある部屋だった
夢のなかの向田邦子は
そこで
ごくふつうの中年女性という感じで
暮らしているのだった
その住まいのすぐわきに
川の土手のような高台があって
そこに出て
記念写真を撮ろう
ということになった
こちらは
向田邦子のものをぜんぜん読んでいないが
テレビドラマなどは見たことがあるし
作品の話はひとから聞いたりしていたので
話に困ることはなかったけれど
それでもバカ正直に
「向田さんのもの、あまり読んでないんですけど」
などと言うと
「いいわよ、読まなくっても」
と答えてくれて
なかなか寛大なひとだなと思った
とにもかくにも
あの有名な
一時代の寵児の向田邦子が
いっしょに写真を撮りましょう
と言ってくれるのだ
そりゃあ
撮っておこうと思うよね
向田邦子の助手をしている若い子たちに
写真を撮ってくれるように頼む
というのだけれど
ところが
ところが
来るはずの若い子たちが
なかなかやって来ない
土手の上の道で
遠くにふたり
若い子がいるのが見えるので
「はやくいらっしゃい!」
と向田邦子が呼ぶのだが
それでも
なかなか来ない
待っていれば
そのうち来るでしょうけれど
いまの若い子たちって
こういうところがダメね
だらだらしてんのよ
まったくねえ
などと向田邦子は言い
それを聞きながら
草の青さの気持ちよい春の暖かい土手の上で
ぼくと向田邦子は
若い子たちのほうを見続けて
待っている
古本屋で
一冊百円とか
場合によっては
三冊百円とか
いまでは
そんな値段でいくらでも買える
向田邦子を
買って読んでみるかなあ
がらっと
宗旨替えするように
して
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